生きづらさマガジン

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他者と向き合うほどに自分が浮き彫りになるのっていいよね

yurusarenakatta.hatenablog.com

 

 

わたしが常々「正直な言葉を綴る人だなぁ」と思っている静かな沖さんが自身のブログにて、他人の自死に遭遇したとしたらという話から自身の飛び降り未遂の話などを書かれていました。


正解がないという中で(実際にげらげら笑っていた中高生たちの対応も結果的には正解につながったわけだし)、それでも考えざるを得ないという思い。


最後に“私は誰かの自死について考えるフリをして、自分のことしか考えていないんだろうな”というところもとても素直で正直な感想だと思いました。
まさにその通りだなー、と思うしわたしも他人に向き合うほど「自分というものが浮き彫りになるなー」と考えています。
つらい状況の人と話していると自分から出てくる反応や返す言葉に(へぇ、俺ってこんなふうに思っていたんだ)って感じることがよくあります。自分の経験やありきたりな一般論で答えようとするとそれは予定調和のどこか遠い感じの言葉になってしまうのですが、そうやって何も考えずにただ相手の言葉に反応して出てきた言葉って自分でも思ってもみないものだったりするんですよね。
そういう自分でも知らない自分、でも確かに自分なんだなってわかる反応が(言葉に詰まったり沈黙したりも含めて)出てくると、そこには薄くみっちりとした空間ができあがります。


よく(傾聴)ボランティアをやっているって言うと「承認欲求のためですか」的なことを言われたりします。でもこうしたやりとりをしている時って承認欲求みたいに自分の身に何か付け足されて大きくなっていくっていくっていうよりはどんどん削ぎ落とされて中から芯の自分が暴かれちゃう感じです。たぶん日常生活だったら恥ずかしいような、決して出てこないような反応や言葉が出るんです。
普段の私はわりとどうでもいいオチャラケタ風の言葉をよく言う軽いタイプなのですが、ボラやったらど真面目な言葉もフイッと出るようになりましたね。軽いのは変わらんけど(笑)。

でも「こういう人間になりたかった」っていうのに近づいた感じです。

 

誰かのことを思うほどに自分が浮き彫りになって、そんな自分と向き合って、またそれで相手と向き合う。

そんな繰り返しの人生なのかなーって最近は思います。 
特に死んでしまった人たちはもうどこにも行かないので、それについてはゆっくりとのこった人たちで考えていければいいと思ってます。