生きやすさマガジン

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「助けて」と言えないの会 レポートその2

会の参加者の方から感想をいただきましたので載せたいと思います。

会が終わっても「あの時のあれはどういうことだったのだろう」としばらくは考えが止みませんよね。日々生活していても残る言葉や思いがあります。自分の中に根ざす思考(生き方)を掘り起こすという行為はこうしたしっかりした場で緩やかに行うことでもできるし、色々な方法があったらいいよな、と思います。

 

 

 

どうも、助けてを言えないの会に参加させていただいた者です。
なかなかうまくまとまりませんが 会に参加して感じた私なりの感想を書いてみようと思います。


【なにかしらの形で、(拒否されたときの)傷つきを体験しているから言えない】


会の最初のほうでも終わりの方でもでた 私的に印象に残っているワードの1つです。
私はその場では自分の「助けて」を人に拒否された具体的な言葉が思い浮かばなかったのですが「あっ、そういや自分って 存在自体を拒否されてたんだった!」と時間差でピンときた、そんな帰り道でした(^^;

みなさんの傷つきや気持ち・葛藤をききながらも思っていたのですが、それってつまり 傷つきとその傷つきを感じられる心があるってことですよね。

助けてを言う前にたくさんハードルがたちはだかっているのも確かだけれども、それだけ色々なことに気づき 想像する力があるってことですもんね?


自分のこととなるとすぐ否定したり こんなんじゃだめだ・どうにかしなきゃと、たり「ない」部分をみておちこみがちだけど
こうやって似た思いを抱えている人達と話すことで「ある」からこそ言えない・ためらってしまう という風に発想の転換ができるのが当事者会のいいところのひとつかもしれないなぁなんて最近感じています。


しかもみんな ただ「助けてが言えない 」で終わらせるのではなく

・抱えているものの深度によって話を打ち明ける人を分けてみたり
・自分に合いそうな相談機関を探してみたり
・当事者会で話をしているうちに実は自分は意外と助けてを言えているほうかも?と気がついたり
・助けてを言えない自分ってなんなんだろう?と深めてみたり。。。
それぞれがそれぞれのやりかたで道を探しているのも伝わってきました。

 

そもそも「助けてが言えない」の"助けて"ってなんなのでしょう?
会ではそういうところも話し合っていきました。

言葉のままストレートに助けてと言うことなのか、仕事の業務的なことなのか、自分でもどこをどう助けてほしいのかわからないメンタル的なことなのか…

これは私の個人的な考え方になってしまいますが「助けて」だとハードルがたかいし、相手もなにかアドバイスしないととか こっちも元気にならないととか色々な期待がでてくるけど「自分を知ってもらう」 というふうに考えると、そういった所謂結果や 迷惑かな?申し訳ないな、などの罪悪感にそこまで囚われずにいられるかもしれないよね、と。

良いアドバイスをしてもらわなくてもいい
正誤をジャッジしてくれなくてもいい
まずは自分を知ってもらうことからはじめたい、的なあれです。
(〜とか言いつつ現実はなかなか;自分という存在を知ってもらうこと自体に罪悪感があるのも今の私です!こりゃ厄介だ!)


さらにここからはもっと私ごとになりますが、そういや自分は滅多なことがないかぎりまわりに助けてが言えない・頼れないけれど 例外的に言える場(相手)があるかも!?ということにここ最近気がつきまして

もちろん助けての内容的にはそこまで深いレベルのものではなく「これ手伝って〜・できないから助けてー」といった類いのものですが、その場面になると後のことも先のことも"あまり考えずに"(助けてを言うまでのハードルが少ない状態で)自然に言うことができるので 自分でも不思議に思っていたのです。

そのことについても会の最後のほうでなげかけてみたところ
「その場ではそういうキャラ設定ができているから言えるのでは?」という意見をいただきました。

私としては無意識だったのですが、そう言われてみると"ちゃんとしていなくてもいい自分"がその場ではある程度確立できているのかもしれないなーと…!目から鱗でした。

加えて「普段の助けてが言えない自分と比べて、その場(言える場)は楽に感じますか?」という質問もいただいたので改めて振り返ってみたところ、、、
うんうん…罪悪感(ハードル)が少ないというのは体感的にもやっぱり圧倒的に楽ですね。

なので 気づける気持ちや相手のことを考えたり想像できる「ある」部分も大切にしつつ、自分にやさしくするための1つの方法として キャラを設定する・ちゃんとしてない自分でも大丈夫な場所を作る ことも今後意識していけたらいいなぁと感じた会でした。

あ、ただ私の場合 意図的にキャラを設定しすぎると「でもこれは作られた私だし。。この人達は本当の私を知らないし。。というかほんとの私ってなに!?」と新たな沼にはまりこむ危険性があるので気をつけねば(笑)
その案配もまたポイントになってきそうですよね〜。


ではでは、長くなってしまいましたが今回の感想はこのへんで。

会に参加されたみなさん、主催してくださったぎりさん、ここまで読んで下さったあなた、どうもありがとうございました!
また機会がありましたらどうぞよろしくお願い致します。