生きやすさマガジン

自分が生きやすく、みんなも生きやすく

小説家の小野美由紀さんとダンサーの青剣さんがファシリテーターのライティング講座に行ってきた話

今回はタイトル通り、お二人がやられているクリエイティブライティング講座の内容と、その時の私の気持ちの動きなどを書いていこうと思います。結構私自身のことも話しちゃってるので、まあ体験エッセイみたいに気楽に読んでいただければと思います。めちゃ長いです(笑)。

 


簡単に私自身のことを話すと今は傾聴ボランティアをやっていて月三回電話に出ています。あとはそれに伴って個人でも「生きづらさを抱えている人が気持ちを吐き出せる場を作っていきたい」という想いで「生きづらさ研究会」「寄りそいかた研究会のような」プチ当事者研究会的なことをしています。今度4/28日に目黒で「助けて」と言えないの会をやりますので興味のある方はどうぞお知らせください。

 


というわけで最近のわたしの活動をお知らせしたのですがどうもここ数ヶ月しんどいな、苦しいな、と思うことが多くて。それって精神的な部分とともに身体的に凝り固まっちゃってるなと感じていたので、一昨日小野さんのツイッターで講座の残数があると見たときに「これだ!」って感じて。一応青剣さんのサイト(http://kigarune.com)で過去の回(メニューの「レポート」)も確認して参加を決めたんですよね。開催日の前日だったので引き寄せられた、というかそれだけ自分の中にある「なんとかしたい、しんどい」っていう気持ちが強かったんだと思います。

 

 

 


【ライティング講座前半:身を委ねることを欲していていた】

 

 


今回の東京講座は10時から20時まで、池袋健康センターの畳の大広間で行われました。前半は身体を動かすことがメインなのでゆったりした格好に着替えます。
今回は告知が遅れたこともあり参加者は私も含めて他女性2名の計3人でした。どこも集客ってのは大変だよね。で、ここで共同ファシリテーターの青剣さんから「本日(小野)美由紀は自律神経の不調で来られません」というお話がありました。流石に聞いたときは「え!」と思いましたし「詐欺では⁈」と思ったけど「今回やってみた満足できないのであれば全額返金しますし、次回は無料で」と言っていただけたのでホッとしました。やっぱり青剣さんもずっと申し訳ないって気持ちがあったようで、なんか大変だなと思ったし。
…ていうか、こんなことになるような気もしてたんですよね。
メンタルしんどいオーラをなんとなくですが感じてたし、前日まで大丈夫でもいきなり動けなくなることってまあこの界隈では「当たり前すぎるくらい当たり前」なので、全然そこは「いいよいいよ〜、気にしないで〜」って気持ちでした。当日ちゃんこ来れることって実はすごいことよねって逆に思う。


気を取り直して午前中は身体を動かすことをメインに皆んなでワイワイと動いていきます。今回は少人数でゆったりに比重を置いた流れを目指したそうですが、また大勢でやるパターンも経験してみたいですね、どっちも楽しいだろうし。
実際どんな感じだったかは先ほどの青剣さんのサイトの『レポート』というところに過去回の写真がたくさん載ってますのでそちらを見てみてください(いつか今回の写真もあがるであろう)。
やってみて、というかやる前から分かってたことですが私は自分の好きなように動くというのがものすごく苦手て、そこと繋がって「助けて」という自分の意思を伝えるのも苦手だっていうのがあるだろうと感じていました。
自分の好きなように踊ってみるというのも、青剣さんがコツを教えてくれてはいるのですがそれでも出来ないし、動きながら他人と触れてみる、というのもぶつかって痛い思いをさせたらどうしようとおもうと心と身体にブレーキがかかって立ち止まっちゃうんですよね。
それでよく今までマッサージの仕事できてたなと思うんですが(笑)、あれって「触れて探って、不調を見つけて、関与して」っていうミッションをこなしてる感覚だったので平気だったのですが、今回のように「自分の自由意志で」ってなると途端に怖さとか、恥ずかしさが勝っちゃうんですよね。必死になって大丈夫大丈夫って言い聞かせながらじゃないと動けないくらいに。
でもそれでそういう自分に改めてしかも最初にきっちり気づけたので「今日はそんな殻を破っていこいう!」という気持ちになれました。
それを許してくれる人たちが集まっているし、そのための場なんですよね。普段思っていてもなかなか出来ない人にはこうしてきちんと場の設定をしないとできないしその必要性を強く感じれた体験でした。


で、今度は一人は目をつぶってもう一人が後ろから肩をおして歩いていくってことをやってのですが、これがもうメチャメチャ気持ちよくて。こちらはもう目をつぶっていて何もわかりませんから、あとは後ろの人を信じるだけ。これがもう最高に気持ちいい。自分は何もしなくていい、解放感、安心感。だんだん歩くスピードを上げて最後は全速力で走るっていうところまでいって、やっぱり「壁や他者にぶつかる」っていう恐怖が頭の片隅にはあるのですが、そこを取っ払って「そうはならない」って全幅の信頼ができたとき思いっきり動けるんですよね。で、あんまりこっちが調子に乗りすぎるとちょと後ろの人が制御するときに困っちゃう、っていうのも伝わるのですが(笑)。わざと困らせよとしたりね(笑)。自分が任せる側でも支える側でも感じるですが、そういう時のおたがいの心境ってよく伝わるよな〜って。
そして私自身、ずっと誰かに寄りかかりたかった、安心したかった、責任や自分の殻から解放されたかったということがわかりました。


余談ですが普段私は週二回フィールサイクルというフィットネスにもうかれこれ3年ちかく通ってまして。室内で大音量の中、インストラクターに合わせて皆んなでバイク(自転車)を漕ぐというものですが、これを続けられたのもストレス発散、という意味と「音楽とインストラクターに委ねられる」という安心感があったから続けられたのかな、って思いました。かなりハードなんだけどそういう相性もあるんだろうな〜って気づいた。
ちなみにこのフィールでの運動は「生活・表面の自分」の筋肉はほぐせても「思考、深層の自分」の筋肉はほぐせてない、ほぐす必要があるとずっと感じてたんです。だから今回のワークショップを見て「まさにそこをほぐしてくれそう!」ってのもわかったから参加したんですよね。


でもこのあとすぐ「皆んなで寄りかかって座る」っていうのがあって、そこでは私が寄りかかったら重いだろうなと思って脱力して寄りかかれずに自分でささえがちになってたんですよね。一気にためらいが戻ってきた。なかなか自由になれないな〜、と思ったし誰かにもたれないということは必然的に自分に力を込めることになってるってのもわかった。普段から無意識レベルで力を込めていたらそりゃあ疲れるし固くもなるよね、って思います。


んで、鬼ごっこは相当疲れる、と(笑)。よく子供の頃はこんな疲れること飽きもせずやってたな〜。


とまあ前半は動いたり、あとは脱力も意識しながら心身をゆるませておいて、お昼休憩の後の後半の部はライティング講座に移っていきます。

 

 

 


【ライティング講座後半:いつもの自分と今日の自分】

 

 


ライティング講座と言ってもサイトを見て貰えばわかる通りそこまでカッチリした書く技術を教えるのではなく「自分の肉声を書くことに集中する」っていうことですね。【「好き・やりたい」を大切に】と。


まず最初に「子供の頃にかいていたものを思い出して書いてみよう」ということで、私は病弱だった5歳くらいの頃ドラえもんの漫画の、ドラえもんだけをひたすら紙に描いていったことや流行っていたゲームブックや自作の漫画のことなどを実際に書きました。

 

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この瞬間まで完全に忘れてたことだけど思い出そうとしたら結構鮮明に思い出せたんですよね。他の人の、その行動をとったその当時どういう気持ちでいたのかは思い出せない、というのもありましたね。そういうのもあるんだなー。
あの頃の衝動とか、純粋無垢な気持ちを自分の中に再発見できました。
その後は配られたお題や絵札、音楽を聴いた入り「動き」を見ながら文章を書くということをやりました。
この頃になるともう、私は完全に「詩人になりたかったあの頃の自分」に戻ってました。だから言葉の離陸が楽しくて、そのへんは皆さんに楽しんでもらえたかなと思います。365日の花言葉をテーマに毎日詩を書くとか、1000本ノック気味に書きまくってたんですよね。大昔の話ですが。けっきょくは雑誌に載って「よし、詩なんてだれも読んでないから辞めよう」と覚悟ができてそれ以来パッタリと書かなくなって、そういう気持ちすら封印していたんです。
でもちゃんと解放できる場があったらそれが自分には出来る。誰が見るからとかじゃなく、自分が楽しいからそれができる。そういう自分がちゃんといることが発見できたんです。束縛されず、気にせず、解放できる、自由って素晴らしい。最初身体的にそのまま自分を表現するのは苦手とかいたんですが、詩も他の小説とかと同様「キャラが乗っかってる」んですよね。だから「自分で書いたんだけど責任は語り手や登場人物」にあるんです。だから好き放題書ける。それはとても気持ちいい。
私の最近の疲れは研究会や傾聴ボランティアしている「ぎりさん」というキャラに疲れていたのかな、それに縛られて堅くなっていたのかな、って気づいたんです。「まじめに」「みんなのために」って一人で勝手に背負ってしんどくなって。でも「なんとかしたい」って思ってるから気持ちに嘘はない。まあその「なんとかしたい」の部分は昔よりだいぶゆるんではきたんですけどよね。


話を戻しますが、そうやって書いてる時も「皆んなで連作」とか「即興で対話劇」みたいな寄りかかれるパターンもすごく気楽で、楽しかった。誰かに任せられる、次どうなるかわからないワクワク感ってホント自由だなって。そんな中「オチをつける」って段になると急に力が入ってまた固まっちゃうんですけどね(笑)。それもまあ相手への意識の問題で、信頼があったり自由な場であることが約束されていればある程度気楽ではいられるんですよね。「いいや、やっちゃえ!」って感じで。そういう場合の方が飛躍度は高いです。時間とか期待感といったある程度のプレッシャーは必要でしょうが、そこで萎縮するかさらなる力を発揮できるかが凡作になるか傑作になるかの分かれ目でしょう。


ちなみに今回参加された他のお二方は、情景描写と心理(自分の)描写に長けてたお二人だなって感じました。わたしは自分が情景描写することに必要性を全く感じないし(笑)、心理描写もするときは「作品のテーマをそのまま」語らせちゃいますね。言いたいことしか書きたくない超わがまま野郎です(笑)。
そんな自分が全開で出たのが最後の「本日の総括的な作品政策」ですね。最後の時間を使って仕上げて、発表を行います。
それに先駆けてアイデアが浮かばなかった場合はZENマップという中にいま気になることを書き込んでそこから3つ選んで書いてみる、という。
ちなみにこの講座は緩いので途中で書きたいことが出てきたら隅っこで自分の好きなように書いててもOKということで、とにかく書きたいことがあったら書け、って方針です。だからどれだけ自分の気持ちに正直になるか、素直になれるかってところが重要です。


で、わたしのマップがこちら。

 

 

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一応最初のお題で中心に「春」があって、「境界」や「ぼく|あなた」は完全にぎりさんのテーマですね。他者と自分、属性とか。「接地する皮膚」とか「混沌」もそう。そういう思考にガンジガラメにされてるイメージが。
で、「境界」を選びつつ残りの2つは全然関係なさそうな、なんでそれが出てきたのか自分でもわからんのだけど「口当たりサクサク   甘く軽く」「恋するホホ」を選んで、それで掌編を書くことにしました。


時間にして1時間くらいかな? A4に7枚、書きなぐったので文字量は少ないです。でも夢中で書いたな〜。で、この作品でいまわたしが抱える問題がけっこうはっきりとわかったのでそれについて書こうと思います。

 

 


【いつもの自分と今日の自分】

 

 


最後の作品は、内容を簡単に書くと


チョコレート味のホホを持つ女子高生のミツキは、自分のホホを舐めさせる事で周りの皆んなを幸せにしたいと思っていた。
しかしいつも舐めてくる恋人や親友に対して「わたしが舐めさせてやるからこいつらは価値がある」と考えるようになり、価値を高めてやってる「わたしの価値」を知らしめるために、最後は右ホホをカミソリで切り落とす。
包帯を巻いて登校するミツキに心配して親友が涙目で寄ってきたのだが、それに対してこう答えて終わる。
「大丈夫。涙もチョコレート味だから」


自分でまとめててもなんだこれ、って思うのですが(笑)、これでもちょっと説明を付け足してるのでまだわかりやすいです。今日1日を通してとにかく余計なこと考えずに書いた結果これができました。本文は情景描写もなく価値観って言葉が連呼されていて荒々しいので、聞かされた方はだいぶ???だったと思います(笑)。
勢いだけで書いているので作品と呼べるものではないにしろ、今の自分を思いっきり反映しているなと感じました。いい作品を作る(それを意識してまた堅くなる)よりも自分の肉声を書く。こっちの方がずっと困難だったろうと思うけどそれができたのは今回の講座の成果だし、書けて良かったと思います。

 


いつもの自分は義務と責任と使命を負っている、それはそれで楽しいけれど窮屈さや苦しさも感じていて、今日の自分は自由で楽しくて夢中になれたんです。
この2つをどうするのか、というところでまずこの2つがあるんだ、という気づきが大きかったと思います。
チョコ味のホホをもって、カミソリで切り落とすことも厭わない。そんな発想の楽しさがありつつ、価値観とか誰かのためにとか、みんなの幸せとか、そういういつもの自分もでている。これは深層心理とかそういった話ではなく、作品に明確に書き過ぎちゃってるバランスの悪さは失敗するという気づき、実際に表現できる場ができたたことで2つを並列にすることがより困難に繋がっていると気づいたんです。
青剣さんが言った「詩でやるよりは短編とかにした方が発想の面白さをよりきわだたせられるよね」っていう言葉にもすごく納得したんです。テーマを登場人物にそのまま語らせたりストレートに詩にするってのは最高にダサいんですわ。それはもう、知ってる。
でも研究会やブログでは、ストレートに言ってもいいんですよね。作品にして楽しませることじゃなく、ありのままの自分たちで楽しめるんです。


楽しませるのも好きだけど、今はみんなで楽しみたい。


わたしは自由、楽しさ、夢中になれることを求めていない。それはいつもちゃんと自分の中にあっていつでも取り出せる、だからあえてそうしなくても自由だ、ということ。
だから、大丈夫。義務や使命や責任の世界に行っても、わたしは楽しめる。それがわたしの安心。
ようやくわたしは自分が寄りかかれるものに気づいたんです。

 

 

 


【今後】

 


すごく楽しかったけど、また詩を書いたり文章を書いたりはしないです。
今の自分とダブる、余計なものだから。もちろん次のワークショップも出るし、絶対に必要なものだと思います。でもいつも共にあるしいつでもとりだせる。そしていつでも楽しい。それが確認できたので満足です。
研究会の今後とか「ぎりさん」としてのキャラの方向性とか(笑)、具体的にどうするかとかはまだわからないけど、もうちょっとゆっくり考えていきたいと思います。(一個だけやりたいこと出来たので最後の最後に書きます)。


だいぶ自分のことを書いてきたけど、講座自体も本当に楽しかったし気づきが多かったし身体も動かせるしで、ぜひみなさんも難しいこと考えず参加したらいいんじゃな〜いって思います!
たぶん青剣さんに聞いたらファシリテーターのこととか会の運営とか執筆のことダンスのこといろいろ教えてくれそうだし、小野さんが来たらまた違った化学反応も起きそうだし、人数が増えてもだいぶ違うと思う! 毎回違う発見ができそうです。
次の東京開催は未定のようですが、また決まったらこちらのブログでもお知らせしようと思います。


青剣さん、一緒に参加したお二人、そしてこの長ーいブログを読んでくれたあなた、ありがとうございました! 
「寄りそう」とか「生きづらさ」とかばかり考えちゃうけど「感謝する」とかそこらへんも忘れてたし大事にしたいわ〜。


ではでは今回はこの辺で。

 

 

 

 

 

 


【オマケ:ツイッターでjkアカウントを作ります】


バ美肉とか、必然なんだよぉ〜。


「おじさん」とかそういった属性や立場性が本音を言えないってのはある(そしてハラスメントとか良からぬ方向で噴出する)。わたし創作すると自然と女性の一人称になるんですよね。なんでか知らないけど。きっと理由があるだろうから考えてみたい。
フリをするんじゃなく属性をまとうだけだけど、気をつけたいのは属性の代弁者になるのではなく個としての自分の言いたいことを言うこと。
Tumblrと連携させるからもしかしてもしかしたら創作もするかも。


ホホを切り落としてもなおチョコの涙を流す彼女の意思は、きっと面白い。