生きやすさマガジン

自分が生きやすく、みんなも生きやすく

「助けて」と言えない: 『隔たりが大きすぎたら言わない・言いたくない・言っても仕方ない』

『「助けて」と言えないの会』をやります。


【開催日時】
2019年4月28日(日) 14時〜17時 
品川区目黒駅そばのレンタル会議室(定員8名) 詳しい行き方はこちら→http://aroman.hatenadiary.jp/entry/2019/04/09/122351
※会費 千円
二次会 近くのファミレス 18時〜21時ごろ


途中参加、ドタキャンOK、参加希望の方はブログのコメント欄かツイッターにDMでお知らせください。

https://twitter.com/ouenrenmu

 

 

『「助けて」と言えないの会』に伴い、参加予定の方からメールをいただきましたので以下に掲載いたします。
この会に限らずブログタイトルも『生きづらさマガジン』としてみんなの生きづらさを集めていきますので、わたしや皆さんに聞いてほしい思いがありましたらお伝えください。


今回いただいた内容に関してはつくづく「そうだよな〜」っていう気持ちになりました。
相容れない相手は確実にいるし、「そういうもんだ」としてちゃっちゃと離れるのが一番いいとは思うんだけど、どうにもできない距離感の相手だとそれもできないからシンドイよね。


わたし自身、のうのうと気楽そうに生きている相手にはまあそれはそれでいいじゃないとようやく思えるようになりました。でもその生き様や受け取り方ををこちらにまで当然のことのように振りまいて、それ基準でジャッジしたり断罪してきたりする輩には「うるせえ!なんも知らねぇくせに!殺すぞ!」(CV:牛沢)と言う気持ちになります。そしてなにも殺すことないよな、という寛容な気持ちになって許せます(笑)。


あまりに見えてる世界が違う、隔たりが大きすぎる相手(世間一般に言う「普通」の信者)には、助けてと「言わない、言いたくない、言っても仕方ない」という気持ちになります。それは悲しみであり、自分を守る決意であり、不思議だなあと思う感覚でもあります。

 

 

 


 

 


おつかれさまです
まだ参加できるかわからないのですが、私も「助けてと言えない自分」について色々と考えを巡らせています!


何個か思い当たることがあったのですが、そのうちの1つを書いてみますね。

 


というのも、以前ぎりさんが書いてらした記事↓を読んで感じたことがありまして。。。


>【寄りそい方研究会に向けて〜メンヘラ.jpに載った首吊り自殺を遂行するに至った話を元に】


>太くて安全だと思っていた道が実は細くて揺れるロープであり少しでも油断するとそこから落ちてしまうということに、ある日気がついてしまう。
そんな危険な綱渡りをしながら私たちは日常を過ごしている。
元気な時はなんとも思わなかったそれらも、弱ってきて「正しい視覚」をとりもどすと裏に潜んでいた真実に気づいてしまう。

 


この文章を読んだ時にすごく「そうなんだよなぁ…」と思ったんです。
私からすると"気づいてしまった"苦しみっていうのかな?


時々よく思うんです。
『知らない状態から知ることはできても、一度知ってしまったらもう知らなかった頃にはもどれない。』
『だから、よくも悪くも"気づいてしまった人"はもうその道をいくしかない』って。


私の中には"気づいてしまった側"と"気づかずにしあわせに生きてる側"の間には大きな隔たりといいますか、相容れないなにかがあるっていう 頑なな想いがあります。

 


具体的に言っちゃうと私(気づいてしまった側)と姉(気づかずに生きてる側)のことなんですけどね(笑


というのも、私が「助けてが言えない」「人に頼れない(頼りたくない)」ことの要因の1つに、この姉の存在がかなり影響してるなーと。


私から見た姉はとても幸せな人にみえます。
こういうことを言うとすぐに「羨ましいんだね」とか「嫉妬してるんでしょ」「生き方は人それぞれだからね…」で片付けられちゃうのは目に見えているのですが。。。
ただ、"気がつかない人"はしあわせだなぁと感じるのは確かです。


ここで言う私の中の"気がつかない人"の定義の1つとは 「世間一般でいうだれがみてもわかりやすい幸せを 幸せだと感じられる人」であって、つまりそれ自体がしあわせだってことで。
そこは正直羨ましいです!


"普通の幸せ""誰が見てもわかりやすい幸せ"を疑わずに生きてきて、まわりにすぐ助けを求められて、それでいて充分に助けてもらってる割には 与えられていることには全く気づかず、さらにまだ足りないまだ足りないと悲劇のヒロイン…というかすぐに被害者ぶる人(姉)に見えてしまうんです。どうしても。(もちろん実際は違うかもしれません。)


そしてそれを間近で見てきて(というか見ざるを得ない関係性・環境で)
そんな姉のような行動はしたくないという想いと、そもそも色々なことに気がつかずに・そして疑いもせずにのうのうと生きているように見える人(姉)に対する反発心もあるんですよねきっと。

 


つまり「助けてが言えない」て、直接的な自分のこともそうだけど 周りの環境とかそれこそ身内とか… 
決して人のせいにするわけではありませんが、自分を形成してきた外側にもなにかしら要因があるような気がしたので 今回こんな風にまとめてみた次第です。


以上、長文散文失礼致しました〜。