生きづらさマガジン

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3月3日 第三回寄りそい方研究会『自分の葛藤とどう向き合うか〜どうして死んだらいけないの?』

「どうして死んだらいけないんですか?」


傾聴のボランティアをしているとまれに聞かれる言葉です。


この場合もやはり話し手側の気持ちを聞くことが優先ですが、そもそもここには「話し手と聞き手の分断」がある気がします(その他の可能性ももちろんありますが)。


「自分だって死にたい思いはあるのに、寄りそう側、支える側だということでそれを抱えることはいけないことなのだろうか」


そういった葛藤から今回のテーマは決まりました。


まず、いつも参加していだだいている方からのメールを掲載します。そこには寄りそう側としての葛藤が描かれていました。

 


 


こんにちは。二度目ましてくらいでしょうか?
ぎりさんと同じく傾聴ボランティアをやっていて 寄り添い方研究会によく参加させていただいている者です。
今回は次回の会のテーマについて、自身の体験をもとに少し思うところがありまして いくつか提案をさせていだたく運びとなりました。


さっそく私事で申し訳ないのですが、最近メンタルの調子がすこぶるよくなく(笑)
メンタルが落ち込んで視野が狭まっている時って「どうして自分だけが…」という思考に囚われがちだな〜と強く感じる今日この頃です。


さて、ここまで読んで「えっ、話を聞く側(寄り添う側)がそんなメンタルでやっていけるの?」と思われたそこのあなた…!


実は私もそう思います(笑)


いや💦開き直ってるけど所詮ボランティアだからってそんな心持ちで挑んでるのね…と捉えられてしまっても仕方のない案件なのですが


寝込みながらも1つ浮かんだ考えが「そもそもこんなに苦しい思いをしてまでどうして生きなければいけないのか、私はその"こたえ"をもっていないなぁ」ということでした。

 

 


【「なんで死んだらいけないの?」にどう向き合うか】


言い方を変えると「なんで死んだらいけないの?」に対する答えを私は今も昔ももっていなくて、しいて言うなら死ねないから生きてるだけだなぁと。
痛いの嫌ですしね…!注射ですらこわい人です。


私自身、ぎりさん含め こういった傾聴ボランティア?等をしている方々(勿論自分も含む)、または今後やってみたいと思っている方々が 電話の向こうにいる相手に「生きる意味」を問われた時にどうこたえるのか、そもそもこたえをもっていたほうがいいのか こたえのでないことに考えをめぐらせたことはあるのか ということに純粋に疑問を持っています。

 


「あなたがいなくなったら大切な人が悲しむよ」
「生きているだけで価値があるんだよ」
「考えるな!生きろ!!」

 


等々…こたえは人の数だけあって、あるいはこたえがないことがこたえなのかもしれませんよね。
とにかく私は色々な人の想いを聞いてみたいのです。

 

 


【自分ごとと相手ごと・主観と客観との葛藤】


ここまで読んでいただいておわかりのように、本当はまぎれもなく"自分ごと"なのですが こんなふうに「もし相手に問われた時にどうこたえるか」という視点でみてみると 、少しだけ客観的になれるような感じがしませんか?


あ、あと 【自分はあくまでも支える側(寄り添う側)なんだからしっかりしないと!という気持ちを皆さんお持ちになったりしているのかどうか】も気になるところです。


ですが一方で (私の場合)なんだかそれって【自分のつらさを相手ごととして利用してる感】もある気がして、なんだかモヤモヤしたり💦うーん…


たとえば葛藤と書きましたが"自分ごと"になりすぎることの何がいけないかというと、そのことで相手の話を聴けなくなるのはまずいよなぁと。
あくまで寄り添う側視点の話合いなのに、当事者としての気持ちのほうが大きくなってしまわないかな〜という不安・葛藤とでもいいましょうか。


そんなこんなで「なんで死んだらいけないの?」というテーマ含め、全体的に重すぎる…?かもしれませんが。。。(^^;
勝手ながら この系統のボランティアをなさっていたり興味がある人達ならば一度は考えたことのある内容かな〜と思い 研究会のテーマ候補としていくつか提案してみた次第です。
そしてどこからどこまでがテーマなのかまとまらなくなってきたところで あとはぎりさんに丸投げ致します(笑)

 


さあ、皆さんならどう感じ・どうこたえますか?

 

 

 

 

 


と、いうことで。


皆さんはどう感じたでしょうか。


わたし自身も、自分の立場性をしっかりと見つめれば見つめるほど他者との境界って曖昧になってくると感じます。
「被害者ー加害者」「フェミニストーセクシスト(性差別主義者)」「メンヘラーメンヘラじゃない人」、こういったいろいろな立場の人たちがその中間にいる大勢の人たちも巻き込んでの当事者意識を持つことが必要であり、それが生きやすい社会への一歩になるのではないかと考えています(もちろん傾聴ボランティアは信念を押し付ける場ではないのでまた別のベクトルで動いていますが)。


次回の寄りそい方研究会はそういった立場を横断した語りや自分の中の葛藤を吐露していただける場にしたいと考えています。
例えばですけど、実際にリスカやODをした人じゃないと、なかなかそういった人たちの気持ちを理解することは難しいし、またそういった経験があるからこそ切に「救いたい、力になりたい」って思えるんですよね。


「自分と同じような人を支えたい」
「同じような苦しみを持っている人を勇気づけたい」


傾聴は自己の経験や思考ベースではなく相手の気持ちで話を聞いていくものなのですが、「気持ちに寄りそう」という面では同じものを共有している方がより近さを感じられます(いわゆるブーストがかけられる状態にある)。


ま、それだけに頼っちゃうと危険なんですけどね。難しいですよね(笑)

 

 


というわけで、そういった諸々も含めて次回の第3回寄りそい方研究会、3月3日(日)14時〜池袋のカフェか、人が多くなるようでしたら近郊の会議室を借りて開こうと思います。
希望者はコメントかツイッターのDMでお知らせください。


ぜひ、あなたの素直な気持ちを聞かせてくださいね。