生きづらさマガジン

みんなの生きづらさが集まる場。まずは、自分のために。

フェミニストの話を聞く会をやりたい

新年の西武・そごうの広告が賛否両論を巻き起こしてから早一か月。あのときのモヤモヤが未だに残っている。



1.炎上しているのを知ってその広告をSNS上で初めて見たとき、たしかにこれはひどいと思った。


2.翌日に渋谷の西武に行って、小さく申し訳程度に飾られていたその広告を見て、すごくキレイだし場に即したものだと思えた。


3.駅で見かけたら顔面にパイがないバージョンの広告ばかりになっていて逆にそれが気持ち悪いと思った。


4.色々なところで言及されている意見を読んで、各々が言っていることはすごくまっとうでうなずけるのだが、さてそれで総意として、結論としてどうだったかというと、結局それぞれの立ち位置での意見・批判であってこれを受けた個々人がどう感じ社会がどう受け止めたかが語られていない現状がなんか寂しい。


そして今また、ロフトの広告が炎上している…

 

 


いろいろな立場から皆が自由に語れるし、その内容にも納得できる。で、ひとしきり騒いでじゃあ結局この出来事のメッセージや課題って何だったんだろう? って考えた時、なんだかすごく寂しくなる。

広告を作った側、クリエイターとしての意見や西武という企業へのクレーム申し立てはあったけど、多くの書き手がクレームを言いたかった相手、家父長制に浸かって女性を搾取している男たちが、どう感じたのかっていうが見えなかった。
それにわたし自身「納得」って言ってるけど、フェミニズムが聞き手に対して求めてるものって「じゃああなたはどうするの?」なんだよね。
わたし自身なんにもしてないから勝手に寂しがっちゃってだけなんです。

 

だって相手は「制度」なんだから。


心理的・個別的に引き受けるべきものじゃないんだから。

 

知っててなお出る、他人事感。

 


SNS上のやり取りを見てて思う、いったい誰に対して言っているんだろうって。

MeToo運動が起こり、声を上げることができてきたとして、いったい誰が受け止めてきているんだろうか?
そういった一連の運動や告発、当事者の語りには「聞き手の習熟」があってこそではないのだろうか?


わたしが「マイノリティのための婚活・恋活を応援したい!」って言ってたのも男らしさ/女らしさの制度に生きづらさを感じている人たちの言葉をすくいあげたいと考えたからなんだよね。
フェミニズムが女としての当事者性を基としている以上、男の特権に加担している女も含めたそれ以外の者たちには非当事者としての立場性を知ること、聞き手としての習熟度を上げること、それを周りに伝えていくことが必要だと思うんです。

でも語りたい女性はたくさんいるのに聞き手がいない、育たない。
それは当然なんですよね。誰だって今持っている特権を手放したくない。利のないことにわざわざ耳を貸す必要なんて感じない。不利を被っているものがいるから、という理由でそちらにわざわざ出かける(という認識なんです、非当事者から見れば)ことはしたくない。

 


コレジャイカン!

 


…とわたしが思っているのも傾聴ボランティアをしているからなんですよね。
男の特権を持った側としての自覚があるからイカン!って思わなアカンのですけど。
…っていうことを最近ようやく知り始めたところなので…


なんかもう、とりとめもなく長くなりそうなので簡潔にまとめますが

 


フェミニストの語りを聞く会をやりたい


ということです。聞き手も主役の。自分たちの立場性をはっきりさせた上で参加する。


知ること、聞くこと。


そういうことを行える“場”が必要なんです。

 

 

語り手は多くいる。

 

 

必要なのは、聞き手になれる“何か”です。

それを提供していきたい。