「生きづらさ研究会」主催ぎりさんのブログ

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私たちにはことばが必要だ 感想その2

 

私たちにはことばが必要だ フェミニストは黙らない

私たちにはことばが必要だ フェミニストは黙らない

  • 作者: イ・ミンギョン,すんみ,小山内園子
  • 出版社/メーカー: タバブックス
  • 発売日: 2018/12/13
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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傾聴ボランティアをやったり当事者研究会のことを学んだりしているせいか「個人のつらさ」に焦点を当てて生きづらさを考えることが多かったんだけど、この本を読んでフェミニズムに関してはそんな悠長なこと言ってられないんだな、ということを知りまして。
自分自身の話をするというのも大事なんですが、フェミニズムに関してのお話はそういった個人と隣接する部分はないわけではないのですがまずは周りが知っておいておかなければならない部分、もしくは順番があるのだと。

それが「相手がどういう状態にいて自分がどういう選択を取っているか」ということです。


「今までフェミニズムに無関心だったが教えてほしい」「今まで無関心だったし今後も無関心のままでいい」という状態の人には、「ほうっておく」「手伝ってあげる」「説得する」という選択がとれます。
ほうっておくのも自由だし、その他をやるのもその人の【善意】からわざわざやっていることなので、もちろんやらないという選択もあります。
だからここで聞く側がのほほんと「言いたいんだから聞いてやるか」とか「言わせておけばすぐスッキリするんだろう」といった態度はありえないんですよね。これ善意でやってることなんで。無知な人に使っても説得に疲弊した人を励ますために使っても善意の価値は同じなので。
フェミニストに対するそういった善意や疲弊の部分を聞く、という個人への焦点の当て方の必要性は知っていました。しかし平等を振りかざして個人の話に持ち込もうとすること、そういう対話は相手の主張を聞かないことと全く同じだということに気づかされたんです。

 


そして相手の状態が「無関心でいられる立場を悪用したい」という場合には「食い止める」という選択が必要であり、それだけは自分の【責任】であると書かれていました。

 

 


私はいままで女性性で生きづらさを感じている人にはそういった善意からの疲弊が見て取れて話を聞かなきゃ、知らなきゃと思っていたのですが先に関わるべきは「相手が訴えたいこと」であって気持ちは後、なんですよね。そういう意味では「無関心だったし無関心のままでいい」という状態でした。もちろんそういう気持ちを聞いてほしいという場合もあるんですが、はっきり分別されてることってまれなんじゃないかな?たぶんフェミニズムに関しては「個」と…この場合はなんだろ?「社会」「制度」「歴史」かな?その重みがすごく根深くからんでいるので簡単に「個の話だ」「その他の話だ」と割り切れないんですよね。
「個以外の部分を話したいのに個の部分が強く出てしまっている」「個の部分の話をしたいのに個以外の部分の話ととらえられてしまう」っていうのがよく見るし一番不幸な行きちがいなので、そういった意味でも自分のスタンスと相手のスタンスはしっかりと見極めてから対話をしたほうがいいですね。まあよくみるネット上のケンカはそこまでの準備もしていないし、そういった気持ちがないから大抵ちぐはぐになっててこれはもう内容以前の問題なんですよね。だから全然伝わってないのに疲労感だけがつのるという最悪の構図に…。

 


というわけで、まだ最後まで読みきっていないのですが取り急ぎ感じたことを書きました。