生きやすさマガジン

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マイノリティのための婚活・恋活支援サイト その2 「誰のためなんのため」

昨日のブログでは、サイトを作って活動を別ブログでつづっていくと書いたのですが、それまでの経緯も楽しみたいのでもう3回ほどこちらのブログでも書いていきたいと思います。


本日は「マイノリティのための婚活・恋活支援サイトとあるけれどこのマイノリティっていったい誰のこと?  なんのための会なの?」というお話です。


マジョリティ(多数派)の反対がマイノリティ(少数派)で、最近では性的少数派(セクシャル・マイノリティ)や障害者のことを思い浮かべる方も多いんじゃないでしょうか。


普通の、大多数の人たちに対する普通じゃない自分たち。そんな認識を持っておられる方もいるでしょう。
普通は足で歩ける。普通は学校や会社に行って勉強をしたり仕事をしたりする。普通は自らの身体を傷つけたりしない。
そんな「普通じゃない」からくる苦労を持った人たちが集まって語り、研究する当事者研究会と言われるものがあるのですが、そこでの当時者というのは「本当の自分を知りたい人」と定義することができます。なぜ足で歩けない自分は苦労をするのか、なぜ自分は学校や会社に行きたくないのか、行けないのか。なぜ自分は自傷をするのか。
「普通じゃない」という声に沈まず、それを行う自分を皆で語り合うことで自分を見つめなおし、考え、アップデートしていきます。
本当の自分を知ろうとする人たちが当事者意識を持ったマイノリティと呼べるなら、「本当の自分を知る可能性を持った人たち」をマイノリティ、と定義づけることもありではないかと。
だから逆に大多数の人たち、マジョリティにとっても本当の自分を知らずに苦労を(感じようとは)せずにいる分「見えずらい苦労」を背負い込んでもいるんですよね。
だからわたしはマイノリティ、マジョリティの区別をなくしてみんな生きづらいよね、ということで誰もが当事者の「生きづらさ研究会」というのもやっているのですが、今回はこと「婚活・恋活」に関してなので婚活したい、恋活したいという想いも味方につけてよりしっかりと己のマイノリティ性に向き合えることが可能だと考えます。


婚活・恋活をしたい、その中で自分のマイノリティ性に向き合いたい、己を知りたい。そうすることでマジョリティ性のある婚活・恋活、ひいては人生に出向き、また帰ってこれる。そんな場としてこの会があるんだ、という風に考えていただけたらと思います。

 

 

 


【婚活、恋活におけるマジョリティとマイノリティ】

 


ここからは皆さんと一緒に考えていきたいのですが、婚活恋活におけるマジョリティとマイノリティ、普通と普通じゃないってなんぞや、ということですね。


普通の婚活って、プロフィール写真のっけて、プロフィールを書いて、マッチングしてもらって、出会って、パーティに行ったりデートしたり、ってことだと思うんですけど。


プロフィール写真を載っけたくない人だっていますよね。
元犯罪者とか、元旦那や元奥さんに見つかりたくないとか、自信がなくて載っけたくないとか。顔で判断されたくないとか。コンプレックスがあるとか。
それなのにほとんどの婚活サイトやアプリは「まずは写真!」という構造ですよね。
ましてやプロフィール欄に書きたくないことなんて、それこそ山ほどあるでしょう。
わたし、結構前ですけど奥さんと離婚してて、しかもその奥さんが精神的に病んだことが理由の一つなんですよね。いわば見捨ててきた、という思いがある。そこには精神病棟に入退院を繰り返した叔母の存在や自殺をした父のこともあったり。とにかくいろいろなことがあって…長いからここでは書かないけど…それで今、こうした会をやったり傾聴ボランティアなんかをやっているという。人生ってわからないもんですね(笑)。なんか当時からは想像もできないんだけど。
でも婚活のプロフィールに「バツあり」は書かなきゃいけないことであり「離婚歴あり(病気の妻を捨てて)」なんて書いたら間違いなく「こいつヤベーやつだ」認定ですよね(笑)。その後どうそれと向き合ってきた(向き合ってはこなかった)かが大事であって、むしろそれを隠したり濁したりするのも、気持ちはわかるけどそれはそれでケアが必要なしんどさだと思うんですよね。
DVで離婚した人がいてその人がそれにどう向き合っているのかとか、人間関係がうまくいかず悩んでいる人の今の苦労とか、想いは簡単ではないはずです。


そして、そこからなぜ婚活や恋活に参加してパートナーを得たいと考えたのか。

 

 


【婚活、恋活に参加するということ】

 


わたし今『バチェラー・ジャパン』っていう番組のシーズン2を観ておりまして。昔シーズン1を観てたのをちょうど思い出して 続編も見ているのですが。
知っている方もいらっしゃると思いますが、この番組って超ハイスペックな男性一人の結婚相手を巡って20人の女性が火花を散らすっていう最高にゲスい番組なんですわ。いろんな企画やデートを重ねて少しずつ女性陣が脱落していき、最後に残った一人が花嫁になる。女の同士の嫉妬心や虚栄心が入り混じったドロドロした展開を外から覗いて楽しむっていうこのゲスさよ。でも、たとえそんな中でも喜怒哀楽があり、なんかよくわかんないけど男性も女性も観ているこっちも涙が出ちゃうのは、みんなが結婚に対して「本気」だからなんですよね。その真剣さを笑うことはできない。
婚活や恋活において、いや人と人がなんらかの関係性を結ぶこと全てにおいて、どれだけ相手と自分を真剣に想っているのか、どれだけ何かに取り組めるのかが大事なことなんじゃないかと思うんです。どれだけ二人の未来のこと、今のこと、過去のことを考えられるか。それが情熱となって相手に伝わっていく。
もちろんそういった熱を伝えることが不得意な人もいるでしょうし、自分は自分でいたいと思う人もいるでしょう。そんな自分がこの人のためになら、と変わることもあります。そのままの自分というものが誰かに真剣に想われることでより肯定感・勇気をもらえることもある。

 


今回のお知らせのツイートに対して、
「マイノリティ性を自己開示するのは自助グループなどではできてもそうじゃない場(婚活の場なんて特に長所を持ちよっての殴り合いの場ですからね)で行うのは難しいのではないか」というご意見もいただきました。
そこは私も大いに懸念するところであり、だからこそしっかりと考えていかなければならない部分だと思います。


では自助グループじゃない場所、つまりその他のいわゆる普通の場所、そこにおいて自己開示できるようになるにはどうしたらいいのでしょう。
本気で自己開示できるには何が必要か。なんのためならできるのか。


自分を孤立から救ってくれる人を得るための場なら、真剣にできるんじゃないかな?


マイノリティである自分がそこにいてもいいと感じられるような相手、共に望むなら互いに違うマジョリティの世界を見せてくれるような相手がいたとしたら。自己開示する理由になりませんか?

ちょうど前々回のブログにその話題について語ってましたが、自分を知るということと他者を知るということは密接に繋がっているんです。


自分のマイノリティ性を開示したら相手に悪いって?
相手も同じような、マイノリティ性を持った人ですよ?
そこにあるのはつらさの押し付けあいなどではなく、自己と他者の尊重です。


当事者同士が話し合って、そこでのやりとりがどういった化学反応を引き起こすのか。それはもういろいろな会が行われれますし、そこで多くの笑顔を実際わたしも見てきています。こればかりは参加してみないと実感としてなかなかわからないと思います。
もちろんこの会は当事者研究会ではなく婚活、恋活の場ですのでパートナーと出会えるのが理想ですよね。
でももし出会えなかったとしても仕方ないです。あなたの地位や、年収や、容姿や、年齢が相手の希望に沿わなかったかもしれません。普通の、大多数の婚活のように。
ただ、あなたのマイノリティ性だけは誰も踏みにじることのできないものなんです。


あなたという人間は、誰も傷つけることのできない尊重されるべき存在なんだということがわかる。
それを忘れてしまった人たちが取り戻すべく集まれる場であり、それを共有できる相手に出会える場にしたい。わたしはそのように考えています。