「生きづらさ研究会」主催ぎりさんのブログ

生きづらさコレクターぎりさんのブログです。生きづらさ研究会のテーマ&参加者募集中!

ボランティアしたけりゃ「誰かのためになりたい」とかは後から好きについて来るのでまずは「むき出しな自分になれるかどうか」を考えてみよう

【“支える側の気持ちを話し合いませんか?”


「寄りそい方研究会  〜支える前にできること〜」

 

12/2(日)14〜17時 池袋のカフェ


傾聴ボランティアをやっている私ともうお一方で「支える側の気持ち…難しさやしんどさ、不安などを素直に話し合えたらいいね、ということで企画しました。


企画といっても4名ほどでお話する感じです。ホワイトボードがわりの紙は用意していくつもりです。参加費もなしですがカフェなので何かしらの注文はお願いいたします。一緒にお話ししたいという方がいらっしゃいましたらこちらのコメントかツイッターのDMにてお知らせください】


https://twitter.com/ouenrenmu

 

わたし傾聴ボランティアをしているのですが、「誰かのためになりたい、力になりたい」っていう言葉をまさに当事者から聞くことがよくあります。
そういう気持ちがあることは間違いなく純粋に素晴らしいと思うのですが、あまり意気込むと疲れちゃうから、まずは自分自身を楽にしてあげて、それから他者のことを考えればいいよ、とまずは伝えます。
メンタル病んじゃう人って優しすぎる、周りに気をつかいすぎていることが多いんで、まずは肩の力を抜いて深呼吸してもらいたいのが本音です。

 


私がボランティアをやっていて感じるのは、誰かのためにと強く意気込まなくても寄り添うことはできるよってこと。

そこから自己肯定感や承認欲求や、なんだかわかんないけどとにかく「自分のため」って感じるものは好きに手に入れればいい。なんのために、なにが得たくてボランティアをするのかなんて個人で好きに考えればいいことです。
前回のブログにも書きましたが、傷つくことで誰もが主人公になれるんです。だから傷つくために自ら裸になること、むき出しになることができれば理由も理想もなんだって後付けでできるんで「自分がどういう状態で挑むのか」をイメージしていただけたらな、と思いますね。

 

 

【他者との向き合い方は自分との向き合い方】


今しんどい気持ちを抱えている人は「周りに迷惑をかけたくない、何もできない」と自分への思いが強くなる。それは否定や責め、許しや願いとなって己を襲う。
そいうった自分への思い眼差しが強くなっているのに重なって、他者への眼差しも強くなる。
「(自分と同じように)つらい目にあっている人を励ましたい」「(自分よりも)しんどい気持ちを抱えている人がいるはずだ」
他者への配慮のはずがそれは常に鏡となって自分の心を映し出す。
誰かのためになる、ということが自分助けにもつながっているからだ。

 

ボランティアをやっていると他のさまざまなボランティア活動をしている方との交流も多くなる。そうした中でどうしてこの活動をやっているのかと聞いたとき、じっさい自分自身がつらい目にあったから、そこで誰かに助けられたからといった経験がある方が多い。わたしもそういった部分がある。
自分の経験や体験が誰かにとっての価値になる。それを分け与えたいと思うのは誰かのためでもあり自分のためでもある。
だが自分が克服できた、回復できたという経験をもとに「強さや励まし」を振りかざしてくるボランティアはウザい。「弱さや共感」をもとに接してくるのとは全く違うのだ。まあ両者ともに程度の問題でもあるのだが…。


そう考えるとボランティアをする側も決して盤石な精神性をもとに対峙しているわけではないく、肝心なのは「どこまで偽りのないやりとりができるか」にかかっているのではないかと思う。強さというのはどこまでも偽りがきくし、弱さはそもそもさらけ出すこと自体が難しい。やはり強さ弱さを超えた「まっさらな自分」で向き合えるかがボランティア精神ではないかと感じる。


そういう意味でもつらい目にあったことがある人もまっさらな自分に向き合った経験があるぶん、良きボランティア人になることができると思っている。ただあまりに自分が弱っていると他者と自分を区別する余裕がなくなり共感よりも同情が勝ってしまったりと難しいところもあるので、そういったことができる状態になってから改めてお願いしたいと思う。別に「精神的な強さ」なんてものは必要なく(そんなものが必要に感じるのは相手のシンドさを自分でなんとかしようと思っているときなので、そもそもそんなことは無理だしあなたはその人ではない)自他の区別をしっかりできていることが肝要である。

 

なのでつらさを抱えている人、自分の弱さに日々向き合っている人に支える側としての役割は十分こなせるのだが、これは逆も言えて「支える側のシンドさ、弱さもまたしっかり吐露していくべきことなんだ」ということも知っておいてほしい。
ボランティア人として、支える側として「忍耐、我慢、服従、頑張る」なんて言葉を唱えながらこなしている人ほどストレスを抱えてしまう。
なにかを支えている、というのは勇気や生きがいにつながると同時に責任や自己犠牲をともなう大変なことでもある。これをやり続けるのもはやり自他の区別をつけること、背負いすぎないこと、そのために「まっさらな自分であること」が必要になってくる。
そのために支援する側にも自分の弱さに向き合い、抱え込みすぎないようにするための場であったり時間が必要だと思う。


そのための場として「寄りそい方研究会」を作ってみた。
あなたのその“支えたい”という気持ちこそ支えたい、応援したいんです。

 

 

もちろん支える側にもシンドさがあるからといって気づかってくれ、責めたてくれないでくれと言うつもりもない。何とかして欲しいと思っている人は余裕がないから自分の苦しみを出すことで周りを傷つけてしまうのも致し方ないことだと思う。周りのことは置いといて、まずは自分自身ことを考えてほしい。

 

 


自己満足とか承認欲求とか、そういうことではない。これはむき出しの魂のやりとりなのだ。