「生きづらさ研究会」主催ぎりさんのブログ

生きづらさコレクターぎりさんのブログです。生きづらさ研究会のテーマ&参加者募集中!

生きづらさをもったものと見守るもの(遺されたもの)

自死遺族支援の会の講演会に行ってきました。
今は自殺の予防や防止に力は注がれているが遺族への支援がはるかに薄いということを皮切りに、自殺対策基本計画の策定における現状と今後の方向性、またネット社会における死者の尊厳と遺族、第三者の権利についてなど、いろいろと聞かせていただきました。
さまざまな団体の方、自死遺族の方とのお話もできて考えさせられることの多い会でした。
 
 
 
今わたしは傾聴ボランティアをやっていて、当事者の話を聞いて気持ちを聞いたり独自に研究会を開いたりしていますが、たしかに当人の周りの人たちも同じようにつらい気持ちを抱えていらっしゃるんですよね。
「死にたい気持ちを尊重する」ということを大事にして否定をしない、むやみに励まさないと言われる反面、「死んでほしくないのに死んだらいけないと言ってはいけない苦しみがある」という言葉にそうだよね、普通はそうなるよね、って思います。
 
死にたい気持ちを受け止める、って簡単ではないのよね。とくにそれが近しい人であればあるほど。
 
支える側ってあんまり弱音を吐けないというか、苦しんでる当人を目の前にして言えないですよね。どっかでこっそり吐こうにもそれでよけいに罪悪感を感じたり。
 
 
自殺対策基本法のおかげ(?)で、多くの取り組みがあって自殺者は年々減っています。そうすると自死遺族はこう思うんです。「わたしの時は救えなかった」「自分が責められている気がする」と。
遺族はずっと苦しみを抱えたまま生き続けていきます。自殺を防ぐこと(これも単に数字が減ればいいという問題ではないのですが)に一生懸命になって、それにまつわる背景や感情にも目をやらないといけないんですよね。
 
死にたい気持ちを持った人とその周りの人たち。どちらも生きづらさを持っていることに変わりはないんです。両方に目を向けることが大事なんだと改めて気づかされました。
 
 
 
生きづらさを持った人と、その周りの支える人たち。両者をつなぐ、バランスよく見られる立場、ポジションというのも意識していきたいな、と。前回のブログで書きましたがわたし自身の「生きづらさコレクター」という立ち位置、うまく生かしていきたいです。
見守る側、支える側のしんどさや生きづらさの研究会もやってみたいな。