「生きづらさ研究会」主催ぎりさんのブログ

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親子のお絵かきイベントをやって感じた「聞く力」

傾聴ボランティアの一環として親子のお絵かきイベントをやってまいりました。
 
何を書いていくのか、わからないことは聴きながら絵を完成させていく「聴くことの大切さ」ゲームなんですが、なかなか小さいお子さんには難しいですね。それでも子供ならではの発想には毎度驚かされました。
子供たちといると癒されるなーと思います。もちろん外部から見たらの話だから親御さんたちは大変ですよね(70組くらいきてお父さんとお子さん、お父さんお母さんとお子さんの組み合わせは5組くらいであとみんなお母さんとだった…お父さんはどこへ…?)
もちろんお祭りのイベントなので好きに描いてもらってOKなんだけど、こちらもあえて正解を強く求めてないからその分子供たちもこちらに聞かず気ままにお絵かき。2回目とか「当てよう!」って必要性を感じた子はメッチャ聞いてきたから、必要に応じてなんだよね〜。
 
「助けを必要と感じなければ、人は聴かない」
「自分が自由に、好きにしていいんだと感じていれば聴かない」
 
正解によるメリットや相手への気持ちがなければ「自分の好悪」が優先されるのも当然です。
 
あーして欲しい、こーして欲しいをいくら訴えても受け取る側がどう反応するかは他人がどうこうはできないんですよね。
お互いの間にあるにある何か…関係性だったり、メリットデメリットであったり、環境、経験、いろんなことがからんでの「聞く力」なんだと感じました。
 
まあ子供はそんなことおかまいなしだけど(笑)。なんかもう、ひたすら声をかけ続けてはり続けて喉がかれたわ(笑)。
 
あとはお絵かきの最後に親御さんに「なかなか言えない気持ち」を付箋に書いてもらってボードに貼ってもらってたんだけど、これも楽しかった。いろんな想いが並んでました。
「子育てたいへん〜」「叫びたいっ!」って書けてる人のほうが案外元気そうで、めっちゃ疲れてそうな人ほどそういうこと書かないな〜、って思いました。あくまでわたしの主観だけどね。
 
そういうのを肌で感じられるのも大切だし、すごく好きなんです。
声や文字でも伝わるけど、実際に会って話すという行為の情報量の多さって圧倒的なんですよね。だから言ってることと思ってることが違うんじゃないか?と感じることもできる。少なくとも「こうなんじゃない?」って聞くことができる。それは「正解を当てるため」というよりは「反応が感じ取れるから」ってところが大きくて、あーだこーだとやりとりを続けること自体に意義がある感じ。
そしてその情報量の多さが逆に仇になるってこともあるなと。近しい人のその量って圧倒的で、受ける準備ができていないときは苦しくなっちゃう。だからこそ情報量を下げた「文字だけ」だったり「関係性の薄い人」も同様に必要になってくる。
 
 
 
こうして書いていくと受ける側、聞く側も「技術」が必要だと感じます。
もちろん気持ちが一番大事だけど。今まではわりと「話す技術、伝える技術」が優先されてきて「いかに自分が自由でいられるか」「自分の主張を通すか」ってことが重要視されてきたから、今度は受ける側の技術も私としては広めていきたいんですよね〜。