「生きづらさ研究会」主催ぎりさんのブログ

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当事者意識を持てない、ところからすでに生きづらさは始まっている

「自分が当事者かどうかわからない」「自分なんかが当事者を名乗るのははばかられる」という言葉をよく耳にするので、ちょいと「当事者(意識)」について書いておこうと思います。


今回わたしが書いていくのは法律用語ではなく福祉用語としての「当事者」ですね。
ウィキペディアでも書いてありますが【広義ではその家族や支援者も含めるが、社会問題をかかえる本人を指していることが多い】ってことでざっくり言えば問題を抱えた当人とその周りの人々、ということなんですが。


障害や病気を持つ人は当事者である、というのはわかりやすいです。そういった目に見えやすい当事者のケアの必要性とうのはわかりやすいのですが心の病気やそれ未満の、一見すると健常者と変わりない人の生きづらさも相当のものがある、そこもケアしていかなければならないのではないか、とうのが当事者研究の狙いでもあります。
専門家に頼り切る前の段階で自分が自分で困りごとを研究していく。自分の苦労はだれよりも自分自身が知っている、自分自信の専門家になることが必要なのです。


研究(知る)を通していくことで自分の周りを変えていく環境を変える。そういう意味で「自らを研究しようとしている人」=「当事者」とも言えます。

 


病名がついていない、なんだかわからない状態で苦しんでいる人も当事者ですし、サポートをするために研究する人たちも広義の当事者です。
むしろこうした当事者意識の持てなさ、持ってはいけないという周りからの圧力が困難をさらに深める要因にもなります。


意識を持つことで周りで同じような体験をしている人とのつながりを持ち、苦しみを共感しあったり自分と他者の違いを知ることで意味や仕組み、対処法が見えてきます。「自分だけがつらい」という思いは孤立感を深めることになります。当事者意識を持つことで正直に経験と気持ちを話すことができ、そこから同情・同調ではない共感が生まれます。


そこにあるのは「当事者・非当事者」「普通と普通じゃない」「障害者と健常者」というカテゴリーではなく「広義の当事者たち」という集まりなのではないでしょうか。