「生きづらさ研究会」主催ぎりさんのブログ

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みんなが自分の生きづらさを言い合える社会に

先日のメンヘラ会に行った時に私が一番聞いた言葉が「メンヘラの定義ってなに?」と「自分はメンヘラではない」でした。
この言葉がもつ意味を考えると発した人たち(多数派、健常者)の抱えている感情が見えてきます。それは「不安」です。
だったらメンヘラの成り立ちやその奥に潜む感情をわかりやすく説いてみようと思い図に書いてみました。
 
それがこちら。とうとつに手書き。
 
 
 

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細かい解説をしたいところですが、今回はこの先のお話をしておきます。
 
これをほかのメンヘラ女子に見せたところ、ご自身のお話をされました。
「私はメンヘラの自分が周りに迷惑をかけてきたので日常的にはメンヘラを表に出したくない」と。たしかに私がこれまで会ってきたメンヘラの多くは「普通」に「擬態」していてメンヘラであることを悟られないようにしていました。裏アカでつぶやいたり、メンタルクリニックに通っていることを黙っていたり。そこには個人のプライドや周りの不理解というものがあってそうなっているのですが。
 
とにかく周りとのやり取りに希望を見出していない。だからメンヘラとしての自分は隠して、がんばってがんばって努力して普通のように振る舞う。それでも限界が来てカミングアウトした時「そうは見えない、普通だよね」といった言葉をかけられる。怒りと絶望、あきらめ。
ただでさえつらいのにそこにまた努力を重ねてきた。それがどんなに大変なことか。
 
受け入れてもらえないというつらさ、悲しみは誰もが知る感情だと思います。
今回この図を書いたのも、メンヘラになるにも原因とそこに含まれた感情があるからであり、そこに周りが気づいて欲しいと思ったからです。
もちろんここに書いたのはあくまで一般的にはこうだ、ということです。
先程話したメンヘラ女子も「自分はどうしてメンヘラになったのかわからない。家庭環境も普通でいじめやトラウマといったものはなかったのに」「しいていえば生理がひどすぎてメンタルに来た」ということで、けっしてメンヘラになるのは「特別な理由がある特別な人」ではないんですよね。
 
そして「普通の人」たちにも生きづらさはある。普通であることの規範は障害者でも健常者でも同じ重さでのしかかります。健常者は弱音を吐けない環境ですが、でもしんどさは吐き出さねばならないし、それに自分が人生のどこかで援助される側になることだってある。
「自分は大丈夫だ、支える側だ」とガチガチに考えるよりは「自分も弱い、支えられることも今後あるだろう」と思っていた方が、支えられる側にとってもいい結果が生まれるんですよね。
メンヘラ当事者もとうぜん苦しいですが、そうじゃない人たちもまた別の苦しさをまとっています。
お互いが我慢するのではなく言い合える、分かり合える社会になったらステキですよね。