第4回生きづらさ研究会参加者とのチャットその3〜「当たり前と、そうじゃない生きづらさ」

 
 
ナトリウム   誰かから見たら楽しそうっていうのはほんとに生きづらいと思います。一番言われるのは「精神病に見えない」って頑なに言われることです。遠回しに「甘えでは?仮病か?」って言われているような気になるので辛いです。カミングアウトしているのにそういわれるんですもん。
 
ぎりさん   なるほど。たぶん「精神病に見えない」も気を使ったりしての言葉だとは思うのですが、自分の状態を見てくれない・認めてくれないっていう悲しさ・虚しさはつらいですよね。
 
ナトリウム   精神病に見えないくらい「普通に振る舞う」までにどれだけのメンタル力とか精神力を使っているのか、ってのがズバーンって跳ね飛ばされているイメージです。普通じゃないけど!?って言えなくなっちゃうんですよね~、気を使われているのちょこっとわかるから…。
当たり前のことって「生きやすい」「生きづらい」に結び付きにくいのかも。
当たり前とかありがたいとかになっちゃって。
前回の恋愛感情についての会でも思いましたけど、そういう当たり前のことを当たり前じゃないなと気づいた人が「生きづらさ」を感じている感じあります。
 
ぎりさん   おおお!まさに!
 
ナトリウム   家族についての時も、今までうちの家庭を当たり前だと思ってたけど実はそこに今の辛さの源が!?って気づいてますよね。
 
ぎりさん   「当たり前」って言葉が鍵かな。当たり前のものがそうでない場合、生きづらい。
他者(普通と思われるもの)と比較すると生きづらさを感じたり。世の中は多数派の「当たり前」で出来ている。
 
ナトリウム   異性と恋愛して定番デートするのが青春の定番!…っていう「当たり前」に対する辛さ(前回の)と通じる気がします。
恋愛依存も相手の当たり前と自分の当たり前が食い違うとうまくいかないっていう話がありましたし。あ、でも家族については逆に世間一般の当たり前が無くなってきているのかも…
いろんな家族の形が増えてきて、当たりまえに当てはめるのがタブー視されている感じです。だからウチが当たり前と思っちゃう…?
 
ぎりさん   自分以外の誰か(何か)に人生を合わそうとすると、生きづらさが生まれる。家族は少子化とかで誰の目にも「崩壊」が見えてるからかな。男女の恋愛とか、一夫一妻制とかも変わってく過渡期かも。
 
ナトリウム   当たり前がはっきりしすぎてると、ちょっと違うだけで辛いし当たり前がうやむやだと、ヤバさに気づけない危険があるし、何が程よいんでしょうね~…謎です…
 
ぎりさん   新しい基準や価値観ができたら出来たで、またそこからハズレることもあるだろうし…難しいね。
「個人尊重」の生きづらさ、なのかな。なにもわからず集団で属していたころのほうが生きやすい部分もあった。いや、気づけていなかっただけなんだろうけど。
ああ〜、考えているだけで生きづらいわぁ(笑)
 
ナトリウム   制服だったころの方が落ち着く的な?当たり前のほうに属していると、安住地がある感じです。あ~普通なんだ良かったって。
 
ぎりさん   うちの会の成すことは「生きづらさをなくすこと」ではなく、生きづらさを「生きている証し」として本人が、みんなが受け入れやすくできる…環境であったり新しい認識の仕方、なのではないかと。
制服着たい人は着ればいいし、着たくなければ着ないでいい。そこで軋轢ができる制度や環境が問題なんだろう。同調圧力とか。
 
ナトリウム   住処が欲しいですよね~。無理に一緒くたにしなくてもいい気はします。すみわけも大事じゃないかって思います。