日常への帰還〜アスリートと宇宙飛行士の当事者研究

『日常への帰還 〜アスリートと宇宙飛行士の当事者研究』と題した、当事者研究の第一人者である熊谷晋一郎先生企画のシンポジウムに行ってきました。
 

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えーとー、写真見えるかな。オリンピック、パラリンピックに出場した小磯典子さん、花岡伸和さん、そして2019年の末にまた宇宙飛行を行う予定の野口聡一さん。そこにダルクの上岡さんを加えて「キングオブマイノリティー」の方々のお話を伺うというこの企画。
「マイノリティーの気持ちなんてわからない」「自分のこの気持ちなんてわかってもらえるはずがない」なんてことが前提だったら、この人たちの話を共感できる人なんて世界でもほんの一握りですよね
それでも「わかるわ〜」「それは大変だ」「そうだったんだぁ」と思えるのはこの場の共有するみんなの、話す側聞く側の想いがあるから。
 
とっても楽しくて励みになるシンポジウムでしたので、簡単に感じたことをまとめていきたいと思います。
 
 
 
【元バスケットボール選手 小磯典子さんのお話
 
 
日本日本代表として二度のオリンピックに出場した小磯さんも、現役時代はストレスからくるひどい生理痛に悩まされていました。引退後には当時のさまざまな出来事のフラッシュバックによる自己嫌悪、罪悪感に苦しめられていたと。そんな彼女を救ったのは人間の本来の姿を見せる娘の存在と、色々な人の手助けを受けたこと。印象に残った、担当医の「終わったんだよ、小磯さん」の言葉。
あらゆる期待と責任を背負ってやり続けてきたバスケの世界。その引退後は普通はと違う人としての特別視と孤独に苦しめられ、逃れたくても自分にはバスケ以外にはなにもないと気づかされる。そこからら少しずつ普通の人間であることを取り戻してきた彼女は、今は若手や子供達に「背負いすぎない、背負わされすぎない」スポーツ本来もつ楽しさを伝えることも含めて指導をしています。
 
 
 
【パラリンピック車椅子マラソン元日本代表 花岡伸和さんのお話】
 
 
障害者とトップアスリートという「良い人、聖人君子」というレッテルを貼られることの危険性。マジョリティーから勝手に貼られるそういったレッテル、「よくわからないからこうしておこう」という枠に収められることが生きづらさになっているという。
 
スポーツの語源は「荷を下ろす」「自由になる」という意味があり、障害という荷を下ろす手段のひとつとしてスポーツがある。短所をなき者にしようとする利己的な動機が障害者アスリートの中にはあるんだ、という。そうした自虐や蔑みを使う気持ちの中に「その方が世の中に広く受け入れらるから」を理由にあげておられた。弱者が権利を主張するとたちまし「プロ弱者」としてレッテルを貼られ、いくら良いことを言っても影響力は落ちる。弱者の強すぎる主張は世間の目を閉ざしたりそれが属性全体の悪しきイメージとして受け入れられかねないため、あえて下手にでて懐に入る言動をしないと周りの一般の弱者が被害を受けてしまうというのだ。
 
そんな障害者とトップアスリート両方をかねた「強い弱者」特有の生きづらさを語った後、スイカ割りを例えに出す。あえて不便にすることで面白さを演出する、これぞスポーツの原点という。「目が見えない」という障害をあえて作り出し、それを周りが支え、スイカが割れようが割れまいが関係なく皆が楽しめるもの。障害やスポーツの本質的な価値がスイカ割りには秘められている。
そう考えると生きづらさはなんだか愛おしく思えてくるのだと語る花岡さん。
 
生きづらさは愛おしい。私も同じように感じる。
 
 
 
【宇宙飛行士であり東大先端科学技術研究センター所属、当事者研究も分野も担う野口聡一さんのお話】
 
 
宇宙飛行というのは無重量状態という新しい環境にいくことでそれまでに自己存在確立の基盤となっていたものを喪失することで平衡感覚、身体機能低下などの障害が起こる。
その反面重力の束縛から解き放たれた身体能力(重いものを持ち上げられる、遠くまで難なく移動できる)と、地球的視点を得た認知能力の拡張が体験可能となる。
そういった障害と拡張の経験を得た後地球に帰還した自分は「かつての私」と同じ存在なのか? そこから当事者研究が始まる。
 
「無重量状態では地球上の序列、階級がなくなる。一番大事なもの(食料や水)のそばに近い人が偉くなる」という話はおもしろかった。大統領など地上の階級者と話をするときは即座にその序列が復活する、とも。
「目上、年上」「這いつくばる」といった重量を感じさせる言葉で支配や階級を表そうとし、偉くなるほどに上に行こうとする人間はやはり重力という制限から逃れたいという欲求があるようだ。
 
 
 
【ダルク女性ハウス 上岡陽江さんのお話】
 
 
指定討論者として登壇した上岡さんはダルク女性ハウスという薬物・アルコール依存をもつ女性をサポートする施設の代表であり熊谷先生とともに当事者研究の分野で活躍されている。
彼女の語る話はいつも非常に生々しい「現場の声」だ。
 
「依存症になる人の85%はDVや虐待を受けていた」というところから薬物やアルコールはやめた後がつらい、やめたらフラッシュバックがある。いかに日常に還るか。そのための新たな日常作り、記憶を変えること。新しいストーリーを作り出す。そのための他者との対話がある。
 
ダルク、依存に関しては生きづらさに関係している部分も多い。その辺りのことは今後も学んでいきたい。
 
 
 
【四者の討論において】
 
 
スポーツの話に限らないが、「権威主義」「勝利至上主義」「能力主義」といったものがが生きづらさを生み出しやすい環境となり、また周りからのプレッシャーから視野狭窄になるところがある。先輩、先人、指導者の言うことは絶対になり、またそういった世界から日常に戻っても小磯さんのように「なんのとりえもない自分」だけになった錯覚にとらわれ、存在価値に悩むことになる。
そういった枠組みからの解放が大事になってくる。
 
野口さんの言った「一番大事なのは何か。周りの誰かの期待に応えたり組織に居残り続けることではない、自分の命だ」という話にうなづく。宇宙での失敗はNASAといった組織から追い出されるのはまだ軽い方で、なにより自分の命がかかっている。そしてそれよりも怖いのは自分の失敗で仲間が死ぬことだ。
ブラック企業にいたり視野が狭くなるとその大事なものの序列が崩れる。追い詰められると、我々は負けても死なないということを忘れてしまう。
 
こうした一見接点のない究極のマイノリティーの集まりも、話すことでお互いの、そして我々マジョリティーにも心に響く想いがあることがわかる
「この人たちも、私たちと同じなんだ」と思える、分かり合える道筋が見えてくるのだ。個別化を突き詰めると全体のストーリーにつながる(そのためにはサンプル数も必要となるのだが)。これは生きづらさ研究会をやっていても常に感じること。
「自分の話なんて、気持ちなんてどうせ誰もわかってくれない」そいうった人たちにこそ、当事者研究会、生きづらさ研究会は開かれている。