「生きづらさ研究会」主催ぎりさんのブログ

8/22(水)8/25(土)第5回、第6回生きづらさ研究会「メンヘラから読み解く私たちの生きづらさ」開催します

「怖くなったら110番」の言葉と安心の希望

「メンヘラ.jp」のサイトに載っていたコラム『怖くなったら110番! 自殺未遂をして自分で警察に助けを求めた時の』を読んだら、自殺して亡くなった自分の親父のことを思い出した。

 

怖くなったら110番! 自殺未遂をして自分で警察に助けを求めた時の話 - メンヘラ.jp

 
 
コラムでは深夜に溺死しようと川に向かって進む執筆者の心情…恐怖や誰かに止めて欲しいという気持ち、見える景色が生々しく描かれていた。よく生きていてくれたという安堵と同時に、亡くなった親父との思い出がフラッシュバックしてきた。
 
一つは実際に亡くなる前に未遂をしたときの、行方不明の親父を探しに叔父やお袋と一緒に深夜の公園を探しに行ったときの光景だ。
「木からぶら下がってるかもしれないから上を照らして!」というお袋の言葉と共に闇夜に懐中電灯で浮かび上がる木々の姿。その発せられた言葉で一瞬本当に親父がぶら下がっているのが見えたような気がした、あの夜のこと。
もう一つは親父が実際に飛び降りた建物の、まさにその現場から地上を見下ろしたとき、あの吸い込まれるような感覚。
どちらもコラムを読んだ時に、死に向かう者の生々しい声で忘れていた情景が思い出された。
 
執筆者は自分でも怖くて誰かに止めて欲しいのに、それでもどうにもならなくてもがいている気持ちをしっかりと書かれていて、ああそういった気持ちでいるんだな、と。達観やあきらめといったものすべてにおおわれているわけでもないのだと。そんなギリギリの時までも「誰かに助けてほしい」という気持ちを持つこともあるのだと。
そんなときに担当医に言われた「110番しなさい」というとても簡潔で事務的な言葉だからこそ、ごくすくない労力でも可能だったのだろう。ただ一つの言葉を、行為をおぼえていたからこそ、この方は助かったのだろう。
いざ、というとき人は複雑なことはできなくなるから、こういったシンプルな言葉が役立つことがあるのだろう。
 
この方も実際110番をするのは怖かっただろうし、そのあとどうなるかもわからない。助かった後も「迷惑をかけて申し訳ない」という気持ちでいっぱいで、だからこそ余計に“よく勇気を持ってかけてくれたね”ってういう気持ちになった。
そんな執筆者に対して警察は決して責めたりはせず「いいんだよ、これも私たちの仕事ですから」という言葉をかけて余計な気づかいをさせずにしっかりと労い、安心させる。
 
誰かに助けを求める時、安心できる、安全が約束される、そんな希望があればまだ助けを求めようという気持ちになる。そんな場合もあるのだ。
 
私たちはあの時の親父にそういった希望を示せなかったのだろう。今ではもう、過ぎたことでありどうしようもない出来事だったのだとわかるのだが、やはりこうしてふとした瞬間にあの生々しさがよみがえる。
 
 
ギリギリの瞬間まで、実行者にも周りの人間にも、思いはあるんだ。