「生きづらさ研究会」主催ぎりさんのブログ

8/22(水)8/25(土)第5回、第6回生きづらさ研究会「メンヘラから読み解く私たちの生きづらさ」開催します

第三回生きづらさ研究会参加者との対話 その2 「メンヘラという存在」

前回に引き続き第三回生きづらさ研究会の参加者とチャットしたときの模様を書きます。前回とは別のみなとさんという方と共に、主に生きづらさ研究会とメンヘラについての話をしました。
メンヘラにまつわるイメージ、そこを拠り所にしたい気持ちとそれでいいのかという気持ちの葛藤がありました。
 
 
 
  
【生きづらさ研究会(当事者研究会)の意義・役割】
 
 
 
ぎりさん 体調というか、調子はどうですか。
 
みなと 調子はいいほうです。日中は一切お薬つかわずです。
 
ぎりさん 普段や夜はいつもお薬飲んでいるんですか?
 
みなと 夜は寝る前に毎日で、調子が悪い時は日中食後に適量って感じです。実は研究会の日、いつも持ち歩くお薬ポーチをまるごと忘れてきていたので、ほんと、素でしたよ(笑)
 
ぎりさん 素だとだいぶ違うもんですか?
 
みなと お薬使うとお酒に酔ったみたいな感じになります。細かいことはいいや、って感じです。今は素でいることが大半なので、いい意味でも悪い意味でも、だいたいいつも通りです
 
ぎりさん そうですか。ご自身としては薬との付き合い方は、どうしたいとか、なにかありますか?
 
みなと お薬は減らしていきたいです。まず持ち歩きの不安から解放されたいです。パニックになったら薬を処方MAX飲みなさい、が今の主治医からの指示なので・・・あとは、酔っている感じになるので、本当の自分じゃないって思います。薬飲んで調子よさそうでもほんとは違うと誤解されたくないなという気持ちも強いです。
 
ぎりさん なるほど…そういうのがあるんですね。話していただいてありがとうございます。
 
みなと 話せる人って限られているので、むしろこちらこそありがとうございます(笑)
 
ぎりさん なかなか話せないことを話せるのって、大切ですよね。
 
みなと メンヘラ関連は、そういうのに理解ある人じゃないと「重い!」って思われそうで。
 
ぎりさん やっぱり「重い」って思われるのが嫌で、話すのもためらわれちゃいますかね。
 
みなと ネット界隈で出会った人なら特に「メンヘラ関わらんどこ」が怖いですね~・・・。
 
ぎりさん なるほど…。では、そろそろ本題というか、会のことについてお聞きしていこうと思います。
聞きたことは前にも書いた三点で、「会に参加した理由」「会の最中のお気持ち」「終わったあとの変化」です。まず、改めて参加した理由をお聞きしてもよろしいでしょうか。
 
みなと 会に参加した理由は、ぎりさんのお誘いです。ブログを見て頂いたところから、研究会のお話をお伺いして、興味を持ちました。
恋愛感情は、あるほうだしテーマ違うかな、次回かなとは思いましたが・・・
参加する前にぎりさんのブログを一通り読んで、「聞くことも自分の治療になりうる」っていうのが心にいい意味で引っかかって、参加してみよう!って思いました。
 
「会の最中の気持ち」
 
最初はほんとに緊張していましたが、だんだん和らいできました。し、言わなきゃっていう焦りも全然なくて、考え込んでだまってても大丈夫だったので、参加しつつも自分の心の中でゆっくり消化しているような感覚でした。
 
「終わった後の変化」
 
個人的な悩みとか意見でも、聞いてくれる人がいればそこから広がっていくんだな~っていう安心感です。交際の話から、定義って何?みたいな広がりもありましたし、みなさん自分の言葉で話されていましたし。
あとは、テーマとは外れてますが、「主語がでかくなりがち」っていうのを気にするようになりました。Twitterするときとかブログを書くときとか。もっと個人で話してもいいかな~と。
 
ぎりさん そうですよね、私から誘ったんですよね。最初の頃はみなとさんの書く文章の方に注目してて、惹かれるものがあったんですよね。テーマと違う人を誘ったのって初めてだったな。
「聞くことによる回復」「沈黙の時間も大切」「他者(仲間)を尊重する気持ち」「聞いてくれる人がいることの大切さ、安心感」っていう、まさに生きづらさ研究会(当事者研究会)の意義というか醍醐味を体現されたようで…。これでこそやったかいがあるというものですし、こういった参加者の声をもっとたくさんの人に届けたいですね。
 
みなと よくテーマと違う人を(いい意味で)、なんか、上から目線になっちゃいますけど、参加してほしいなと思われたご理由とか聞けるとうれしいです。
 
ぎりさん テーマに沿った人を集めるのも大切ですけど、この会の意義って「いろんな考えを持つ人同士が集まって自分たちのことを話し合う、相手のことを知る」ってのがとても大切だと思っています。なので積極的に「自分はそうじゃないけど…」「自分はそうは思わないけど」っていう人を誘っていきたいですね。
 
みなと 生きづらさ研究会の良さは、距離感もあると思いますよ。会が終わっても、お互いラインやTwitterを教え合う事もなく、連絡事項多めのslackで、っていうの。
 
ぎりさん 距離感は…まあTwitterはほぼみんなやってますけどね(笑)。そこであえてうるさくはしないようにはしていますね。「自分にとって都合のいい関係」が一番楽かと。
 
みなと あと会場が靴ぬいでの会議室だったのもよかったです!足抱えたり普段の状態に近くて!次は和室でも面白いと思いますよ。普段自宅ですごしている体制でやる案('ω')
 
ぎりさん なんかガチの当事者研究会だと寝っ転がる人とか自由だけど、そういう「肩の力が入らないようにする」ってのも心がけていますね。
 
みなと なるほどです、そうじゃないけどって思っていたからこそ、自分が懸念していた「引っ張られる」こともなく、発言と聞くことができたなって思ってます。
 
ぎりさん 「とにかく自分を楽にして」ってのをお伝えしたいです。
 
みなと 当事者会の勝手なイメージは、会議室、明るい、人数多い、発言順決まってる、そんなイメージでした。脳内で・・・。町内会の会議みたいなそんなイメージを勝手に持ってました。
 
ぎりさん むしろメンタル面でしんどさを抱えている人が多いので逆ですね。いかにゆるくやるか。もちろんホワイトボードは大事ですが。和室、いいですね〜。
 
みなと 自分はそうじゃない分類の人間だけど、そういう意見があるのも確かに。言われてみれば。でもこれ自分にはどうやったら当てはまるのか?って考えられました。
 
ぎりさん そうですよね、興味がある時点でもう「当事者」なんです。
 
みなと いろんな方面に興味を持てるのは、自分の長所だと、ブログやって当事者会参加して、改めて思えるようになってきました。
 
ぎりさん 非当事者(テーマにあわない側)と一緒にやることが環境(社会)を変えることにつながるので、いままで当事者同士で「自分たちの悪いことを治そう」ってのがこれまでの障害者に対する考え方だったのですが、そうではなくて外側(環境側)を変えていくのが今の障害者との関わり方なんですよね。車椅子な自分が悪いのではなくてスロープがある社会にする。当事者研究会はそこから始まっていますので。
なので、これからもテーマはありますが積極的にテーマに関係ない人も巻き込んでいきたいと思います。インスタをやるのも、公式キャラを作るのも「自分の生きづらさに気づこうとしていない、ふつうの人たち」に来てほしいからなんですね。
 
みなと ふつうのひとを会に取り込むのはなかなかハードそうですけど、確かに、当事者で「ねー」「だねー」って言っててもそこで終わっちゃいますし、やるとしてもすんごい人数の署名集めるとかなんか違う方向に行きそう。
私は、アセクシャルさんとか、例えば同性愛者さんとか、発達障害さんとか、「あ、そうなん~」ってなりますけど、ほかの人はどうかわからないですね。人事の仕事してて、メンタルの病気で休職する人に対して先輩が呟いていたこととか、私の考えとは全然違いましたし。
 
ぎりさん 先輩、なんて?
 
みなと 休職者に対して、まあいろんな処理があるので「仕方ないな~」って感じでした、先輩は。ほんと~?って呟いていて・・・。
 
ぎりさん まあその反応が「ふつう」なのが現状ですからね。そこはやはり当事者同士で語り合っていても、外側(環境)が変わっていないので結局自分のためにもならないんですよね。
「運動」をしなくても「自分も他者も」変えていけるのが当事者研究の役割、なんですよね。
 
 
 
 
【「メンヘラ」という定義の受け取り方】
 
 
 
 
みなと 私はメンヘラ界隈に居てブログをやってましたが、今後はそういう界隈の外のひとも引き込む感じでしょうか?
 
ぎりさん 当分はメンヘラ界隈の人中心にしっかり数を増やしていく、というのがやりやすくもあるでしょうし、そこが中心でしょうね。
でも今回インスタから初めて応募があったし、内で活動していけば自然と外にも伝わっていくと思います。メンヘラ.JPにも「居場所DB」という試みが出来たので、そこにもガッツリ作成して宣伝していこうと思います。
 
みなと インスタ報告うれしかったです~!
 
ぎりさん うれいしよね!
 
みなと Twitterは仕様的に、RTしたらRT主は当事者なの?って思われてしまうリスクあると思うんですよね・・・いいねするには文字の山から目についたとき・・・
 
ぎりさん そのリスクって、どういった感じなんですかね?
 
みなと ゲーム垢とか手芸垢とか持ってるんですけど、「メンヘラつらたん~」なツイートを目にする機会があんまりなくって(私は)。だからタイムラインに流れてきたとき、「めずらしいな、どっから?」って気にしてしまいます。~さんがリツイートしました、いいねしました、って出てたら、「その人そういう感じ?」っておもっちゃうので。
 
ぎりさん なるほど…そういうふうになっているのか…。その人そういう感じ?って思われるのは、やはりリスキーなことなんでしょうか。
 
みなと ネット界隈(2ちゃんVIPとかで、よくまとめサイトになっているやつ)って「お前アスペかよwww」「新型うつが甘えじゃねーか」的な記事も多いんで。ネットスラングが飛び交うゲーム垢では怖いですし、実際にサークラのようなことがネトゲでよくあるので、「メンヘラ関わらんどこ」が怖いです
あとはうちの親がそうなんですけど、障害者っていうとなんか知的障害のイメージ浮かんじゃう人がいるみたいなんです。なので手芸でも、作っている人が障害者っていうので拒否されるのやだなーって
 
ぎりさん ああいう言説をしている時点でもうその人達は関心のある当事者なんで、むしろ無関心な人たちより理解は得やすような気がする。なんとなくだけど。
「障害者」=「知的障害」って思っている人は多いでしょうね。少し前まではそういった理解もホントなかったからね。しょうがない部分もあると思います。だからこそ、知ってほしいな。
 
みなと たしかに、メンヘラという言葉を知っている人の方が、ふつうのひとの中では話しやすいかも・・・
メンヘラって言葉もあいまいですよね
今回のほかの参加者さんも、メンヘラではないって感じ抱いてますし。
 
ぎりさん みなとさんが、他の参加者さんたちに対して、ってことですかね?
 
みなと あ、そうです。参加者メンヘラだった?って聞かれても、いや違うんじゃない?っていうのが自分の思ったことです。
メンヘラ当事者研究会とは別路線な感じ(?)
 
ぎりさん あ、そうなんですか! 私は毎回「この人たちみんなメンヘラだぁ〜」って気持ちで話してました(笑)!
もちろん私自身もだけど(笑)
 
みなと ま! 私は「メンヘラ」のくくりに対してけっこう激しい線引き、グループ分けの、なんていうんですかね潜在意識?があって。
サークルクラッシュを経験したことがあって。
あとは、すごく仲が良かった友達がアスペルガーだったり、ツイッターで「病み垢」にいたり、そうすると「メンヘラとは」という勝手なイメージを抱いてしまってます。
メンヘラとは何かという記事を読んで、そうだよなと思うけど消化しきれていない感じ。それがあるから、研究会に参加して「思ってたのと違った」感覚も強いと自己分析してます。
サークラとか、ネトゲのギルド崩壊とか、かまってちゃん、リスカする、付き合うと重いというイメージがくっついたまんまのひと(私含め)はこういう当事者会に対してかなーり高いカベあると思います
 
ぎりさん そういったイメージを、みなとさんはご自身に対しても持っている、ということでしょうか。
 
みなと 問題行動起こしちゃうときって、自分の心に対して「どうなんだ~い私の心く~ん、ねえどうなんだ~い」って聞けてない時・・・?
聞けたら「生きづらさ」として認識できる瞬間?
問題行動起こしてなくても生きづらさを感じている人は、問題行動起こすひとと一緒のカテゴリにしないでって思ってるかも?
うまくまとまらなくなってきました。
 
>そういったイメージを、みなとさんはご自身に対しても持っている、ということでしょうか。
 
持ってます。なのであえてネットでは「メンヘラ」の部分を強調しています。怖いもの見たさで見てくれる人狙い、という考えもありつつやっています。メンヘラについて興味持ってくれたら、ぎりさんのいう「興味持ったら当事者」の考えに近いです。そこから、メンヘラ女子だ診断済みだっていう私の、ブログなり作品なり、「怖いもの見たさ」でも興味持ってくれる人がいたらいいなって思います。
案外普通じゃんとか、なんか心当たりあるな?とか、身近にいる人に対して冷静に見ることが出来るきっかけになったり、まず見てもらわないと始まらないので!
 
ぎりさん そういう思いがあったんですね。みなとさんは「問題行動を起こす」ことにどういう思いをお持ちなんですかね?
 
みなと ひとことでまとめるの、難しいですね。例えるなら、学校で、みんな同じ制服を着ていて一部の人が、例えば夜中のプールに忍び込んだとか(問題行動)を起こして、まちの人に制服を見られるだけでひそひそされて煙たがられたり、入店禁止になったりしたとき(制服=メンヘラというコトバ、くくり)。真面目にやってる私が、同じ制服だからと何でこんな目にあわなきゃいかんのかと。
でも内心、そういう青春やりたかったな、という気持ち。
なので、メンヘラというコトバのくくりで楽に生きようとしても、問題行動ひとつで偏見もたれちゃうので、やめてくれよ、このくくりを抜けたいという嫌悪感と、気持ちはわかるけど自分はできないっていうもどかしさ、憧れみたいなふたつの気持ちがあります
 
ぎりさん 嫌悪感と、まあ理解もしたいし憧れもある、という二つの気持ちがある、と。この二つがある状態っていうのは、みなとさんにとってはどうですかね?
 
みなと まぜまぜされた後に結局、自己嫌悪に行きついて終わっちゃいます。
 
ぎりさん その自己嫌悪は、最初に抱いた嫌悪感とはまた違ったものですか。
 
みなと 嫌悪感を抱いてイライラしたあと、落ち着いてきて冷静になったら、「そもそも自分がメンヘラ界にいるのがダメ」という自己嫌悪に進化します。メンヘラ界にいなかったら、こういう自分のことのように気を病むことなかったんじゃないのかなと思います。気に病んでいる時間を勉強とかに使えたら有益ですよね・・
自分の考えってブログ記事と逆向いてる?って思い始めてきました。“メンヘラというコトバにいろんな人が縋っていいし、生きづらさはそこに持ってきていい”・・・っていう記事と。メンヘラとしてひとくくりにされる自分の辛さ。
 
ぎりさん そうですか…。みなとさんの中にもいろいろモヤモヤありそうですね。
 
 
 
 
 
 
以上が今回のチャットの主なやりとりでした。
 
これをやったことで気づけたことは、わたし自身「メンヘラ」という言葉を心の健康に問題を抱えている状態、人、としてあまりに鷹揚に広くとらえすぎていて繊細な部分をないがしろにする傾向があったな、ということです。
身体と同じように精神も不調になるのは当たり前、「問題行動」もその奥にある信号の発露なので出るのも当然、生きづらさを感じていない人なんていない、というように考えて「“ふつう”にしてても結局みんなメンヘラだぁ〜」って。
ボランティアで問題行動の話を浴びるように聞いていたり、Twitterでフォローしたりしているともうそれに慣れちゃってると、頭ごなしの否定や拒否をせず、下手に説教や説得をしないのはいいんですが「問題行動をとるのはやっぱりヤベェよ」って感覚がないとその奥にある感情をきちんと把握できないんですよね。「そういった気持があるのは当然だよね」だけで済まさずに「そういった気持があるのはなんでだろうね」ってさらにツッコまないと探求できないですから。下手すりゃ無関心ってことになりかねません。
そういう意味では今回の対話でもありました「ふつうの人」としての感覚も持つ、フラットな状態で聞くってのが改めて必要であるってのに気づけたやりとりでした。
 
今回の方も、ご自分で話していてどんどん疑問が湧いてくる、これでいいのかと自分に問う、ということが出てきました。一人で考えることも大事ですがどんどん深みにハマって頭の中がぐるぐるしすぎるときは、この生きづらさ研究会のようにきちんと聞いてくれる人たちと一緒に考えたり、また違った意見を聞いたりすると余裕を持って違う角度から自分を眺めることが出来るのではないでしょうか。
そしてなにより「自分ひとりじゃないんだ」という安心感が孤立を防ぎ、苦しみの螺旋から信頼の輪へと移れるような気がします。
興味を持たれた方はぜひ次回の会に参加してみてくださいね。