「生きづらさ研究会」主催ぎりさんのブログ

8/22(水)8/25(土)第5回、第6回生きづらさ研究会「メンヘラから読み解く私たちの生きづらさ」開催します

友達ができるには、を考えたら「カリスマ性」と「かわいげ」ではないかという結果が出た

先日のトークイベントがあった時に「行きたいなぁ」という感じでリツイートしていたら第一回生きづらさ研究会のときに参加していただいた方から「一緒に行っていいですか」というリプライがきて「いいよ!」と返して一緒に行くことになりました。
 
誰かと一緒にお出かけする時点でわたしはもう八割がた友達関係だと思うんですけど、みなさんはどうでしょう?
 
イベントで再会してふつうな感じで話しもしたし、終わった後「このあとメシどうですか?」と誘われたので、もうほぼ100パー仲良しじゃん!って思ったんだけど。
 
で、イベント後のご飯で彼が前から言っている「とにかく自分には一人も友達がいない、友だちが欲しい、ほしくてほしくてしょうがない」ということをまた言ってきたので「よーし、じゃあどうやったら友達ができるか考えよう!」という話になりました。もちろんこの時点でわたしはもう彼の友達だと思ってましたので、彼がどの程度こちらを友達認識しているかわからなかったけどそこには触れずに。
 
 
なんで友達が欲しいのかとかの話もしたんだけどそこは長くなるので割愛して、友達を作るために必要なことをいろいろと話していたのですが…
 
 
友達がいる=人気がある
 
ということではないかと。たしかに人気者の周りには人が集まっている気がする。そりゃあ人気もになれるんだったらなりたい、ああ人気者がうらやましい、という話を(ある程度酔いながら)した。
 
で、人気者とそうでない我々のような下々の者たちとの差異は何かと考えた。←というような自己卑下的なことを言わないのも人気者の条件かもしれない。言ったとしても許される要素がある…そう、「かわいげ」である。
 
人気者にはかわいげがある。どんなにかっこよくてもかわいくてもかわいげがないと人気者にはなれないと思われる。
 
しかしかわいげがないのにすごく人気のある人もいる。ホリエモンのように。
 
ホリエモンにあるものを特に一つ上げるとしたら「カリスマ性」ではないかと。
 
カリスマ性のある人には人が集まる。打算があるにしろないにしろ友達も多そうだ。ていうか完璧に打算がないと自認できる友達関係なんてあるのだろうか。好きだったらああしてほしいという考えも少なからず抱くのではないだろうか。
 
有名人の人気者を見ると、たいてい「かわいげ」か「カリスマ性」かのどちらかを持っているという結論に達した。イチローにはカリスマ性が、大谷翔平にはかわいげがある。センター平手友梨奈にはカリスマ性、キャプテン菅井友香はかわいげがある。美のカリスマ白石麻衣も、ずっと番組を見てきた人なら彼女の良さはその美貌からは考えられないかわいげ(&ヘタレ感)を発揮しているのが良き!と知っているはずである。「ギャップ萌え」として効果も倍である。
 
というわけでその2つのどちらかを身に着けたら人気ものになって友達ができる!ということにたどり着いたので、次にわれわれはどちらを身につけるべきかを考えた。彼は自分でも「自分には全くかわいげがない」と認めている。そんなふうに言う彼を私は「かわいい」と思うのだが、そういうものではないらしい。
わたしが言ったのは「かわいげがある人はもう自然に身についている。家族にかわいがらたらそうなるのでは」という身も蓋もない話である。
「それはもう、ムリですね!」ということでカリスマ性を上げることを目標にすることにした。
 
ちなみに私は生きづらさ研究会主催としてかわいげのあるリーダーを目指しています。カリスマ性でグループを引っ張っている人はどうしても「運動家」というイメージがあって怖い。わたしがやりたいのは「研究」であり「個人の生きやすさの追求」である。「みんな(少数派)の幸せのために」というお題目はけっきょく個人を見捨てることにつながりかねないと考えている。個人から周囲(環境)への働きかけのためのつながりは必要だ。個人を切り捨てた集団→周囲への働きかけとはまた違う。
もちろん、この人に話を聞いてもらい、みたいな安心と信頼はしっかりと築いていきたいと思っている。個人としても、グループとしても。
 
 
というわけで話がそれたが「カリスマ性を身につけるにはどうしたらいいか」という話である。
 
「仕事をちゃんとやる」みたいな話で今回はお開きとなった。今の二人には耳のイタい話であった…。
 
この一連の話はまた今後もするだろうし、なんなら生きづらさ研究会でやってもいいくらいのテーマであると思ったので今後に続く…かもしれない。