生きやすさマガジン

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第三回生きづらさ研究会参加者との対話 その2 「メンヘラという存在」

前回に引き続き第三回生きづらさ研究会の参加者とチャットしたときの模様を書きます。前回とは別のみなとさんという方と共に、主に生きづらさ研究会とメンヘラについての話をしました。
メンヘラにまつわるイメージ、そこを拠り所にしたい気持ちとそれでいいのかという気持ちの葛藤がありました。
 
 
 
  
【生きづらさ研究会(当事者研究会)の意義・役割】
 
 
 
ぎりさん 体調というか、調子はどうですか。
 
みなと 調子はいいほうです。日中は一切お薬つかわずです。
 
ぎりさん 普段や夜はいつもお薬飲んでいるんですか?
 
みなと 夜は寝る前に毎日で、調子が悪い時は日中食後に適量って感じです。実は研究会の日、いつも持ち歩くお薬ポーチをまるごと忘れてきていたので、ほんと、素でしたよ(笑)
 
ぎりさん 素だとだいぶ違うもんですか?
 
みなと お薬使うとお酒に酔ったみたいな感じになります。細かいことはいいや、って感じです。今は素でいることが大半なので、いい意味でも悪い意味でも、だいたいいつも通りです
 
ぎりさん そうですか。ご自身としては薬との付き合い方は、どうしたいとか、なにかありますか?
 
みなと お薬は減らしていきたいです。まず持ち歩きの不安から解放されたいです。パニックになったら薬を処方MAX飲みなさい、が今の主治医からの指示なので・・・あとは、酔っている感じになるので、本当の自分じゃないって思います。薬飲んで調子よさそうでもほんとは違うと誤解されたくないなという気持ちも強いです。
 
ぎりさん なるほど…そういうのがあるんですね。話していただいてありがとうございます。
 
みなと 話せる人って限られているので、むしろこちらこそありがとうございます(笑)
 
ぎりさん なかなか話せないことを話せるのって、大切ですよね。
 
みなと メンヘラ関連は、そういうのに理解ある人じゃないと「重い!」って思われそうで。
 
ぎりさん やっぱり「重い」って思われるのが嫌で、話すのもためらわれちゃいますかね。
 
みなと ネット界隈で出会った人なら特に「メンヘラ関わらんどこ」が怖いですね~・・・。
 
ぎりさん なるほど…。では、そろそろ本題というか、会のことについてお聞きしていこうと思います。
聞きたことは前にも書いた三点で、「会に参加した理由」「会の最中のお気持ち」「終わったあとの変化」です。まず、改めて参加した理由をお聞きしてもよろしいでしょうか。
 
みなと 会に参加した理由は、ぎりさんのお誘いです。ブログを見て頂いたところから、研究会のお話をお伺いして、興味を持ちました。
恋愛感情は、あるほうだしテーマ違うかな、次回かなとは思いましたが・・・
参加する前にぎりさんのブログを一通り読んで、「聞くことも自分の治療になりうる」っていうのが心にいい意味で引っかかって、参加してみよう!って思いました。
 
「会の最中の気持ち」
 
最初はほんとに緊張していましたが、だんだん和らいできました。し、言わなきゃっていう焦りも全然なくて、考え込んでだまってても大丈夫だったので、参加しつつも自分の心の中でゆっくり消化しているような感覚でした。
 
「終わった後の変化」
 
個人的な悩みとか意見でも、聞いてくれる人がいればそこから広がっていくんだな~っていう安心感です。交際の話から、定義って何?みたいな広がりもありましたし、みなさん自分の言葉で話されていましたし。
あとは、テーマとは外れてますが、「主語がでかくなりがち」っていうのを気にするようになりました。Twitterするときとかブログを書くときとか。もっと個人で話してもいいかな~と。
 
ぎりさん そうですよね、私から誘ったんですよね。最初の頃はみなとさんの書く文章の方に注目してて、惹かれるものがあったんですよね。テーマと違う人を誘ったのって初めてだったな。
「聞くことによる回復」「沈黙の時間も大切」「他者(仲間)を尊重する気持ち」「聞いてくれる人がいることの大切さ、安心感」っていう、まさに生きづらさ研究会(当事者研究会)の意義というか醍醐味を体現されたようで…。これでこそやったかいがあるというものですし、こういった参加者の声をもっとたくさんの人に届けたいですね。
 
みなと よくテーマと違う人を(いい意味で)、なんか、上から目線になっちゃいますけど、参加してほしいなと思われたご理由とか聞けるとうれしいです。
 
ぎりさん テーマに沿った人を集めるのも大切ですけど、この会の意義って「いろんな考えを持つ人同士が集まって自分たちのことを話し合う、相手のことを知る」ってのがとても大切だと思っています。なので積極的に「自分はそうじゃないけど…」「自分はそうは思わないけど」っていう人を誘っていきたいですね。
 
みなと 生きづらさ研究会の良さは、距離感もあると思いますよ。会が終わっても、お互いラインやTwitterを教え合う事もなく、連絡事項多めのslackで、っていうの。
 
ぎりさん 距離感は…まあTwitterはほぼみんなやってますけどね(笑)。そこであえてうるさくはしないようにはしていますね。「自分にとって都合のいい関係」が一番楽かと。
 
みなと あと会場が靴ぬいでの会議室だったのもよかったです!足抱えたり普段の状態に近くて!次は和室でも面白いと思いますよ。普段自宅ですごしている体制でやる案('ω')
 
ぎりさん なんかガチの当事者研究会だと寝っ転がる人とか自由だけど、そういう「肩の力が入らないようにする」ってのも心がけていますね。
 
みなと なるほどです、そうじゃないけどって思っていたからこそ、自分が懸念していた「引っ張られる」こともなく、発言と聞くことができたなって思ってます。
 
ぎりさん 「とにかく自分を楽にして」ってのをお伝えしたいです。
 
みなと 当事者会の勝手なイメージは、会議室、明るい、人数多い、発言順決まってる、そんなイメージでした。脳内で・・・。町内会の会議みたいなそんなイメージを勝手に持ってました。
 
ぎりさん むしろメンタル面でしんどさを抱えている人が多いので逆ですね。いかにゆるくやるか。もちろんホワイトボードは大事ですが。和室、いいですね〜。
 
みなと 自分はそうじゃない分類の人間だけど、そういう意見があるのも確かに。言われてみれば。でもこれ自分にはどうやったら当てはまるのか?って考えられました。
 
ぎりさん そうですよね、興味がある時点でもう「当事者」なんです。
 
みなと いろんな方面に興味を持てるのは、自分の長所だと、ブログやって当事者会参加して、改めて思えるようになってきました。
 
ぎりさん 非当事者(テーマにあわない側)と一緒にやることが環境(社会)を変えることにつながるので、いままで当事者同士で「自分たちの悪いことを治そう」ってのがこれまでの障害者に対する考え方だったのですが、そうではなくて外側(環境側)を変えていくのが今の障害者との関わり方なんですよね。車椅子な自分が悪いのではなくてスロープがある社会にする。当事者研究会はそこから始まっていますので。
なので、これからもテーマはありますが積極的にテーマに関係ない人も巻き込んでいきたいと思います。インスタをやるのも、公式キャラを作るのも「自分の生きづらさに気づこうとしていない、ふつうの人たち」に来てほしいからなんですね。
 
みなと ふつうのひとを会に取り込むのはなかなかハードそうですけど、確かに、当事者で「ねー」「だねー」って言っててもそこで終わっちゃいますし、やるとしてもすんごい人数の署名集めるとかなんか違う方向に行きそう。
私は、アセクシャルさんとか、例えば同性愛者さんとか、発達障害さんとか、「あ、そうなん~」ってなりますけど、ほかの人はどうかわからないですね。人事の仕事してて、メンタルの病気で休職する人に対して先輩が呟いていたこととか、私の考えとは全然違いましたし。
 
ぎりさん 先輩、なんて?
 
みなと 休職者に対して、まあいろんな処理があるので「仕方ないな~」って感じでした、先輩は。ほんと~?って呟いていて・・・。
 
ぎりさん まあその反応が「ふつう」なのが現状ですからね。そこはやはり当事者同士で語り合っていても、外側(環境)が変わっていないので結局自分のためにもならないんですよね。
「運動」をしなくても「自分も他者も」変えていけるのが当事者研究の役割、なんですよね。
 
 
 
 
【「メンヘラ」という定義の受け取り方】
 
 
 
 
みなと 私はメンヘラ界隈に居てブログをやってましたが、今後はそういう界隈の外のひとも引き込む感じでしょうか?
 
ぎりさん 当分はメンヘラ界隈の人中心にしっかり数を増やしていく、というのがやりやすくもあるでしょうし、そこが中心でしょうね。
でも今回インスタから初めて応募があったし、内で活動していけば自然と外にも伝わっていくと思います。メンヘラ.JPにも「居場所DB」という試みが出来たので、そこにもガッツリ作成して宣伝していこうと思います。
 
みなと インスタ報告うれしかったです~!
 
ぎりさん うれいしよね!
 
みなと Twitterは仕様的に、RTしたらRT主は当事者なの?って思われてしまうリスクあると思うんですよね・・・いいねするには文字の山から目についたとき・・・
 
ぎりさん そのリスクって、どういった感じなんですかね?
 
みなと ゲーム垢とか手芸垢とか持ってるんですけど、「メンヘラつらたん~」なツイートを目にする機会があんまりなくって(私は)。だからタイムラインに流れてきたとき、「めずらしいな、どっから?」って気にしてしまいます。~さんがリツイートしました、いいねしました、って出てたら、「その人そういう感じ?」っておもっちゃうので。
 
ぎりさん なるほど…そういうふうになっているのか…。その人そういう感じ?って思われるのは、やはりリスキーなことなんでしょうか。
 
みなと ネット界隈(2ちゃんVIPとかで、よくまとめサイトになっているやつ)って「お前アスペかよwww」「新型うつが甘えじゃねーか」的な記事も多いんで。ネットスラングが飛び交うゲーム垢では怖いですし、実際にサークラのようなことがネトゲでよくあるので、「メンヘラ関わらんどこ」が怖いです
あとはうちの親がそうなんですけど、障害者っていうとなんか知的障害のイメージ浮かんじゃう人がいるみたいなんです。なので手芸でも、作っている人が障害者っていうので拒否されるのやだなーって
 
ぎりさん ああいう言説をしている時点でもうその人達は関心のある当事者なんで、むしろ無関心な人たちより理解は得やすような気がする。なんとなくだけど。
「障害者」=「知的障害」って思っている人は多いでしょうね。少し前まではそういった理解もホントなかったからね。しょうがない部分もあると思います。だからこそ、知ってほしいな。
 
みなと たしかに、メンヘラという言葉を知っている人の方が、ふつうのひとの中では話しやすいかも・・・
メンヘラって言葉もあいまいですよね
今回のほかの参加者さんも、メンヘラではないって感じ抱いてますし。
 
ぎりさん みなとさんが、他の参加者さんたちに対して、ってことですかね?
 
みなと あ、そうです。参加者メンヘラだった?って聞かれても、いや違うんじゃない?っていうのが自分の思ったことです。
メンヘラ当事者研究会とは別路線な感じ(?)
 
ぎりさん あ、そうなんですか! 私は毎回「この人たちみんなメンヘラだぁ〜」って気持ちで話してました(笑)!
もちろん私自身もだけど(笑)
 
みなと ま! 私は「メンヘラ」のくくりに対してけっこう激しい線引き、グループ分けの、なんていうんですかね潜在意識?があって。
サークルクラッシュを経験したことがあって。
あとは、すごく仲が良かった友達がアスペルガーだったり、ツイッターで「病み垢」にいたり、そうすると「メンヘラとは」という勝手なイメージを抱いてしまってます。
メンヘラとは何かという記事を読んで、そうだよなと思うけど消化しきれていない感じ。それがあるから、研究会に参加して「思ってたのと違った」感覚も強いと自己分析してます。
サークラとか、ネトゲのギルド崩壊とか、かまってちゃん、リスカする、付き合うと重いというイメージがくっついたまんまのひと(私含め)はこういう当事者会に対してかなーり高いカベあると思います
 
ぎりさん そういったイメージを、みなとさんはご自身に対しても持っている、ということでしょうか。
 
みなと 問題行動起こしちゃうときって、自分の心に対して「どうなんだ~い私の心く~ん、ねえどうなんだ~い」って聞けてない時・・・?
聞けたら「生きづらさ」として認識できる瞬間?
問題行動起こしてなくても生きづらさを感じている人は、問題行動起こすひとと一緒のカテゴリにしないでって思ってるかも?
うまくまとまらなくなってきました。
 
>そういったイメージを、みなとさんはご自身に対しても持っている、ということでしょうか。
 
持ってます。なのであえてネットでは「メンヘラ」の部分を強調しています。怖いもの見たさで見てくれる人狙い、という考えもありつつやっています。メンヘラについて興味持ってくれたら、ぎりさんのいう「興味持ったら当事者」の考えに近いです。そこから、メンヘラ女子だ診断済みだっていう私の、ブログなり作品なり、「怖いもの見たさ」でも興味持ってくれる人がいたらいいなって思います。
案外普通じゃんとか、なんか心当たりあるな?とか、身近にいる人に対して冷静に見ることが出来るきっかけになったり、まず見てもらわないと始まらないので!
 
ぎりさん そういう思いがあったんですね。みなとさんは「問題行動を起こす」ことにどういう思いをお持ちなんですかね?
 
みなと ひとことでまとめるの、難しいですね。例えるなら、学校で、みんな同じ制服を着ていて一部の人が、例えば夜中のプールに忍び込んだとか(問題行動)を起こして、まちの人に制服を見られるだけでひそひそされて煙たがられたり、入店禁止になったりしたとき(制服=メンヘラというコトバ、くくり)。真面目にやってる私が、同じ制服だからと何でこんな目にあわなきゃいかんのかと。
でも内心、そういう青春やりたかったな、という気持ち。
なので、メンヘラというコトバのくくりで楽に生きようとしても、問題行動ひとつで偏見もたれちゃうので、やめてくれよ、このくくりを抜けたいという嫌悪感と、気持ちはわかるけど自分はできないっていうもどかしさ、憧れみたいなふたつの気持ちがあります
 
ぎりさん 嫌悪感と、まあ理解もしたいし憧れもある、という二つの気持ちがある、と。この二つがある状態っていうのは、みなとさんにとってはどうですかね?
 
みなと まぜまぜされた後に結局、自己嫌悪に行きついて終わっちゃいます。
 
ぎりさん その自己嫌悪は、最初に抱いた嫌悪感とはまた違ったものですか。
 
みなと 嫌悪感を抱いてイライラしたあと、落ち着いてきて冷静になったら、「そもそも自分がメンヘラ界にいるのがダメ」という自己嫌悪に進化します。メンヘラ界にいなかったら、こういう自分のことのように気を病むことなかったんじゃないのかなと思います。気に病んでいる時間を勉強とかに使えたら有益ですよね・・
自分の考えってブログ記事と逆向いてる?って思い始めてきました。“メンヘラというコトバにいろんな人が縋っていいし、生きづらさはそこに持ってきていい”・・・っていう記事と。メンヘラとしてひとくくりにされる自分の辛さ。
 
ぎりさん そうですか…。みなとさんの中にもいろいろモヤモヤありそうですね。
 
 
 
 
 
 
以上が今回のチャットの主なやりとりでした。
 
これをやったことで気づけたことは、わたし自身「メンヘラ」という言葉を心の健康に問題を抱えている状態、人、としてあまりに鷹揚に広くとらえすぎていて繊細な部分をないがしろにする傾向があったな、ということです。
身体と同じように精神も不調になるのは当たり前、「問題行動」もその奥にある信号の発露なので出るのも当然、生きづらさを感じていない人なんていない、というように考えて「“ふつう”にしてても結局みんなメンヘラだぁ〜」って。
ボランティアで問題行動の話を浴びるように聞いていたり、Twitterでフォローしたりしているともうそれに慣れちゃってると、頭ごなしの否定や拒否をせず、下手に説教や説得をしないのはいいんですが「問題行動をとるのはやっぱりヤベェよ」って感覚がないとその奥にある感情をきちんと把握できないんですよね。「そういった気持があるのは当然だよね」だけで済まさずに「そういった気持があるのはなんでだろうね」ってさらにツッコまないと探求できないですから。下手すりゃ無関心ってことになりかねません。
そういう意味では今回の対話でもありました「ふつうの人」としての感覚も持つ、フラットな状態で聞くってのが改めて必要であるってのに気づけたやりとりでした。
 
今回の方も、ご自分で話していてどんどん疑問が湧いてくる、これでいいのかと自分に問う、ということが出てきました。一人で考えることも大事ですがどんどん深みにハマって頭の中がぐるぐるしすぎるときは、この生きづらさ研究会のようにきちんと聞いてくれる人たちと一緒に考えたり、また違った意見を聞いたりすると余裕を持って違う角度から自分を眺めることが出来るのではないでしょうか。
そしてなにより「自分ひとりじゃないんだ」という安心感が孤立を防ぎ、苦しみの螺旋から信頼の輪へと移れるような気がします。
興味を持たれた方はぜひ次回の会に参加してみてくださいね。
 
 

第三回生きづらさ研究会の参加者とチャットしました。「○○らしさ」という抑圧。

 
第三回テーマ「恋愛感情・恋愛依存」に参加していただいたつづらさんと主催の私、ぎりさんでチャットをしました。その様子を皆さんにお届けします。つづらさんは「恋愛感情がない当事者」として参加されていました。そのことについての言及があります。
 
会に参加しようか迷っている方には、どんな雰囲気だったか伝わればと思います。
 
 
 
 
【女らしさ、男らしさという抑圧】
 
 
 
ぎりさん こんにちは〜。
 
つづら こんにちは!
 
ぎりさん よろしくお願いします!
 
つづら よろしくお願いしますー
 
ぎりさん 会に参加してみての印象はどうだったでしょうか?
 
つづら ここは私と一緒だなと思った部分もあるし、ここは違うなという面白さもあり、とても興味深かったです。
 
ぎりさん そうですね、同じ部分と違う部分、両方見えると面白いんですよね。そこのところを聞かせていただいてもいいですか?
 
つづら 同じだなというか、言語化できてなかったけど確かに私もそう考えてるなというのは「恋愛はいろんなものが一緒くたにパッケージ化されてる」って話ですね。恋人という概念に馴染めないのは、恋人関係になったら自動的にああしてこうしてってなることに違和感があったんだな、ということに気が付きました。
逆に全然違って面白いなと思ったのは「結婚したら恋愛からおりられる」っていう発想でした。私ははなから恋愛のステージに立っていない気がしているので、性愛者の方は強制的にステージに立たされるぶん苦労があるのかな、と思いました。
 
ぎりさん 「恋人という概念」っていうのは普通はこうするものという規範が決まっていてそうは思わない、出来ない人にとってはしんどいですよね。そういうものなんだろうなと、思っていてすらもシンドいのが多いけど、そのシンドさよりも楽しさ、楽さ、安心感があるからできてるっていう部分もあると思います。安心を得たいはずなのにそのためにたくさん苦しんだり悲しんだりするのも矛盾してるというか…
 
つづら そうなんですよね。私は自明とされてる規範をうまく内面化できなくて、いちいち「なんで?」って思ってしまうのだと思います。
 
ぎりさん そこらへんはモグラさん(※その日の同じ参加者の方)も同じですよね。ふつうは「なんで?」って思わないからできてることであって問いだすと終わらないというか…
 
つづら そうですね、ちょっと似てるのかなと勝手に親近感を覚えてました(笑)
 
ぎりさん たしかに(笑) 「なんで?」って思うことは多いですか?
 
つづら 多いですね…たぶん自分の性別違和とも関わってくると思うのですが、身体的に女性であること自体には違和感はなくて、どちらかというと女性ジェンダーとしての規範が私にはそぐわないんですよね。規範っていうのは例えば、女性だから身だしなみに気を遣うとか、男性を立てて控えめにするとか、怒らずにこにこしてるとか、そういうのです。
だからといって男性になりたいと思うわけでもないんですが。
 
ぎりさん そこらへんも詳しく知りたいのですが、その「女性ジェンダーとしての規範」というものにつづらさんはどういう思いをお持ちなのでしょうか。
また女性でもそんなに化粧っ気もなく、男勝りで、そんなに愛想よくするのが好きではない、っていタイプもおられますがそういった方たちとはまた違った「生きづらさ」があるってことなのでしょうか。
 
つづら うーん、いわゆる「女性らしさ」「男性らしさ」という規範を否定するつもりはないし、それに沿って生きたい人はそうすればいいけど、それを性別で一律に押し付けないでほしい、という感じですかね。女性が「男性らしく」生きることもその逆も、あるいはどちらとも違う「らしさ」を選択することも、自由にできればいいのにと思います。
 
ぎりさん そうですねぇ…。そういう「○○らしさ」とか「ふつうは…」っていうのが押し付けられるのはシンドいですよね。なんでこんなに女性らしさ、男性らしらってのが狭量な感じでまかり通ってるんですかね。不自由ですよね。
みんな自分とおんなじだ、という安心感がほしいんじゃないかって思ってるんですけど。一人ひとりを見ていないというか。
多数派もしょせん少数派のかたまりであって、少数派も個の集まりであることにかわりはないのに…って、思います。
 
つづら 後者の質問についてです。私がまさに挙げられたようなタイプだと思うのですが(笑)、それでも「女性らしく」という圧力は感じるんですよね。勝手に感じているだけと言われればその通りですが、例えばメディアを見れば「女性らしい」女性で溢れていて、規範から外れていると笑われたり馬鹿にされたりするし、「モテ」に関する言説なんて規範の押しつけの最たるものですよね。規範に沿わないと異性に承認されないぞ、と言われている気がします。なので、もちろん全く規範を気にしない人もいるでしょうけど、多くの人は大なり小なり圧力を感じているのではないでしょうか。
 
ぎりさん わたしはつづらさんを「そういうのをわかった上であえて女性らしく」しているのかな、って勝手に受け取っていました。いや、変な意味でなく「ちゃんと女性らしくしている(しなくちゃいけないと思っている)」って感じてたんです。そういう意味でかどうかはわかりませんがどこか窮屈そうにしている印象は受けました。
それはわたしが勝手に「きちんとしている女性」を「女性らしくしている」と同義で結びつけるような見方を普段からしてしまっているのかもしれません。わたしが(人が)「女性らしさ」をどう思っているかによるんでしょうが。
 
つづら ありがとうございます(笑)。確かに、初対面の人と会う時はある程度女性らしく+愛想よくしているかもしれません。うまく言えないんですが、親しくない人に接するとき、「女性」という記号は便利なんですよね。「女性」の型に自分を嵌めることで話しやすくなるというか。仮面みたいなものかもしれません。
さっき言ったことと矛盾してるかな? 結局私も「女性らしさ」を都合よく使ってるのかもしれませんね。
 
ぎりさん 自分のいいように使う、解釈する、というのは生きやすさの方法として大いにありだと思います。今話してみてわかったのは、わたしは女性らしさを「大和撫子」として考えていますってこと。凛として姿勢や所作が美しいと「女性らしい」って思うみたい。
「かわいい」や「モテ」っていうのも脳に心地いいように感じさせられてるけど、あれもメディアが作った麻薬みたいなもんな気がします。まあ可愛さを好むのは本能的にもあるんだろうけど。
 
つづら 例えば外国では「可愛さ」よりも「セクシーさ」が好まれるなんて話もあるので、文化的な刷り込みも大きいのかもしれませんね。
 
ぎりさん たしかに。日本男児はあんまりああいうのは…。ゲームやアニメの影響もあるかもしれません。
 
つづら 日本ではとにかく女性には「可愛さ」「幼さ」が好まれる傾向にありますよね。支配欲が満たされるのかな、なんて勝手に思ってますけど(笑)
 
ぎりさん それだけ男性が女性を支配したい気持ちが強いってことかな? まあ「むりやり」感はあるなぁ。そうなると女性も「支配されたがってるふりをしたほうが良い」なんて刷り込まれちゃうこともあるのでしょう。よけいに生きづらい。
 
つづら そうですね、乱暴な話ですけど、男性には「支配しろ」という抑圧が、女性には「支配されろ」という抑圧がかかっているような感じがします。
 
ぎりさん それは感じますね。それが自分たちを苦しめる要因になってるんだけどそれをしなきゃしないでおかしい、みたいに思われるしおかしいと思わなきゃいけないような風潮をメディアが作っているというか。
 
 
 
 
【会に参加しての感想と「死にたい気持ち」】
 
 
 
 
ぎりさん それでは改めて、この会に参加した理由と会に参加していたときのつづらさんの気持ちも聞かせていただきたいのですが。
 
つづら 会に参加したのは、たまたまアロマンティックかも?という方とお話する機会があって面白かったので、恋愛感情(がないこと)についてお話してみたいなと思って検索していたら引っかかって、渡りに船という感じでした。
会の間は、恋愛感情について自分の考えていることを話す機会も人の考えてることを聞く機会もほとんどなかったので、ひたすらに興味深かったです。初対面の人に自己開示する緊張感もありましたが、みなさん話し上手で聞き上手だったので、安心して話せました。
 
ぎりさん なるほど〜。ありがとうございます。
そういえば、二次会で死にたい気持ちがあるようなことをおっしゃってたと思うんですが、それについても聞いても良いですか?
 
つづら 実はその話したのあんまり覚えてないんですが(笑)、大丈夫です!
 
ぎりさん お、そうなんですか。あのときも普通にスルーされてたので一応わたしも流したのですが…。
 
つづら 死にたいといっても今のところ具体的に行動を起こすつもりは全くないです。ただたぶん中学生くらいの頃から漠然と「生まれてこなければプラマイゼロだったのに」「死んだら楽になるのに」みたいな気持ちがずっとあって、それがなくなることはたぶんないんだろうな、と思っています。死にたいというより生きていたくない。
死ぬつもりがないのは、家族に迷惑がかかる(悲しませるというのも含めて)からです。なので、もし事故か何かで家族を全員失うことになったら後を追うかもしれないな、とは思います。
 
ぎりさん そういったお気持ちがあるんですね。それは何が理由でそう思う、ということでもないのでしょうか。
 
つづら 具体的に何があるわけではなくて、ただ生きてるのつらいな、という感じですね。他の人と比べて特につらいとかでもなく、たぶんみんなこの程度のことは思ってるんじゃないかな?と思いますが。
 
ぎりさん たしかにみんな大なり小なりあるでしょうね。でもこうしてつづらさんの気持ちを聞けてよかったです。話しづらい事も話していただいてありがとうございました。
 
つづら いえいえ、こちらこそ聞いていただいてありがとうございました。
 
 
 
 
以上が今回の対話の内容でした。
「恋愛感情がない」なんて聞くと「自分とは違う人」っていう考えが浮かぶかもしれませんが、こうして詳しく話を聞いてみると自分と同じような考え・気持ちを抱いていたり、それによって大いに悩んでいたり…ということがわかります。
こうしたやりとりの繰り返しが多数派・少数派や属性といった考え方だけでないグラデーションなつながりができる下地となり、周囲(環境)の変化や個人の孤独、生きづらさの解消になると考えています。
 
興味を持たれた方はぜひ次回の生きづらさ研究会に参加してみてください。
 
 
 
 

「恋愛(感情)とはなにか」を恋愛マンガを使って語るよ。

渡辺ペコさんの『1122(いいふうふ)』読んでます。今3巻まで出ています。
 
 

 

1122(1) (モーニング KC)

1122(1) (モーニング KC)

 

 

“妻・相原一子。夫・相原二也。結婚7年目の仲良し夫婦。セックスレス。子供なし。そんな二人が選択したのは「婚外恋愛許可制(公認不倫)」。おとやには、いちこも公認の“恋人”美月がいる。美月との恋に夢中になり始めるおとやを見て、いちこにも変化が……”
 
 
渡辺ペコさんのマンガに出てくるキャラたちは「結婚」「恋愛」「子ども」「家族」「幸せ」をそれぞれを丁寧に(グズグズと奥深く)考えて「自分はどうなんだ、どうしたいんだ」を問い続けていて、そこが面白いんですよね。
 
前作の『にこたま』(全5巻)も同様です。
 
 
にこたま(1) (モーニングコミックス)
 

 

 
こちらも同棲中の男性が一夜の浮気で上司を妊娠させたあげくに同棲中の彼女が卵巣腫瘍で摘出手術をすることに…という「二個のたま」を巡る物語です。
 
どちらもわりと男性がどうしようもない感があふれていて女性目線だとそこが鼻につくようですが…。
 
 

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この「男性の弱さ」って「不倫」や「依存」や「自殺」につながる部分で、ここの消化(昇華)の仕方が生きづらさを左右するのではないか…と思っています。
自分の弱さに向き合うのがヘタだと生きづらいんですわ。
 
 
そんなわけで本題ですが。
次に紹介するのはわたしの恋愛のバイブル、『失恋ショコラティエ』(全9巻)の紹介です。松潤石原さとみでドラマ化もしましたね。そちらは未見ですが。
 

 

失恋ショコラティエ 1 (フラワーコミックスアルファ)

失恋ショコラティエ 1 (フラワーコミックスアルファ)

 

 

 
振られた女性に片想いをし続け、その思いを全てショコラティエとしてチョコにぶつけて彼女の気持ちを引き続けるという怨念マンガなんですが、ここに男の(人間の)強さの規範みたいなものが描かれていてスゲーってなります。
 
「誰かのために自分のできることを全力で注ぐ」
 
美しいですね〜。でもアカンのですわ。片想いの彼女はもう、結婚しているので。
 
じゃあなんのためにするのかっていう。
 
「あわよくば」
 
なんですよね。そこが最高にゲスくて、尊いんです。
 
 
恋愛って、自分の中にある無数のドロドロの欲望をきれいにまとめてみせたものなんじゃないかと。
 
 
テンパリングしたあとのきれいなチョコレートのように。
 
 
 

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自分の中にある欲望、安心したい、幸せになりたい、楽をしたい、性欲を満たしたい、触れたい、嗅ぎたい、食べたい、苦しみたい、家庭がほしい子どもがほしい、認めてほしい、見せつけたい、支配したい、とにかく楽になりたいといったものたちをキレイに整えて手に取りやすく差し出しやすくしたものを「恋愛」と呼んでいるのではないかと。
 
 
 

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『失恋〜』の二人はこの後どんどん汚れていきますが、男と女のラブゲームの手を一向にゆるめません。
彼は同じように片想いでつらい思いをしている別の女性とセフレ関係になり、片想いの彼女は彼女でショコラティエとして成功していく彼の気を引こうとあの手この手で彼を心を揺さぶります。
とにかく最高にゲスくてしょうもない話ではあるんですが、そんなドロドロの中に恋愛のなんたるかを考えさせてくれる作品なんです。
 
恋愛のよさって「ダメな自分に気持ちよく向き合える要素がある」ってとこで、恋愛のシンドさって「ダメな自分に否が応でも向き合わなきゃいけないシンドさ」なんですよね。
どちらにころんだところでシンドさはあるので恋愛やってる人は本当にスゲーなって思います。いやあ、疲れるよね、恋愛。
 
 
なんかしみじみしちゃったわぁ。
 
 

第三回生きづらさ研究会 テーマ「恋愛感情・恋愛指向」レポート

三回目となりました生きづらさ研究会のレポートです。
マンションの一室にある小さな貸し会議室内においてアロマンティック(性的関心はあるけど恋愛感情はない、かも)の女性二名、恋愛感情はある女性と私の四名(+書記一名)での開催となりました。
恋愛感情がないゆえの恋人への申し訳なさ、そもそも恋愛感情というものがわからない、恋愛感情があるゆえのつらさなど、テーマに沿った話し合いが行われました。
テーマに即した思いというのは各自新しい発見や気付きがあったと思います。それは各々の胸の内やブログなどで改めて述べられるかもしれませんし、後日また可能であれば聞き取りさせていただいて会の感想、その後の変化、語り足りない生きづらさなどをまた、ホームページなどで発表していきたいと思います(私自身は過去の結婚・離婚の体験が根深くて、これについて研究することが必要だと気づいた)。
 
そんな中私自身が一番興味をいだいたのは「生きづらさ」そのものでした。
以前の会でもそうだったのですがテーマについて話していると自然とそこの根っこにあるものが見えてきて、それが生きづらさという概念でありそれをしっかりと探っていくことでテーマに対する知識や発見が増えて「そういうことだったのか!」という瞬間が訪れる気がします。
一個人として、生きづらさ研究会主催者として、どうしてもそこに目が行ってしまうので会に出た個々の知見に関しては取り上げずに今回のこの会を通しての「生きづらさ」に対するわたし自身の思いを書いていきます。
 
 
 

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【勇気をもらえるグルーヴ感】
 
以前の会でも感じたのですが、この独特の臨場感・高揚感はなんなんだろう。
「なかなか人に話せなかったことをその日初めてあった者同士で話し合う」という非日常感も後押ししているのかもしれません。このグルーヴ感はじっさいにこの場に来てみてから初めて感じられるものでしょう。
初めは皆さん緊張が大きかったでしょうが、だんだん前のめりになって言葉を発したり考えを染み込ませる瞬間があり、頭の中で思いや気持ちを皆で揺り動かすさまは「生きづらさ」という一見向き合いたくない嫌な事柄に対しても対峙できる勇気を与えてくれます。
「生きづらさ」はこちらを過去や未来や絶望の穴にとらえて動けない状態にしてきます。「今、ここ」の感覚を大事にしながら、そして「聞き手」という仲間を力を借りていくことでなんとか語っていくことができます。
文字や動画のみでの集い、話し合いも便利で良いのでしょうがじっさいに会場に来てみての一体感、グルーヴ感はこの会の価値の一つだと思っています。気になる方はぜひ来てみて体感して味わっていただきたいと思います。
 
 
 
【ある側のつらさ、ない側のつらさ、お互いを知ること】
 
恋愛感情がある側もつらさがある。恋愛感情がないというつらさもある。そのつらさを与えるのはだれか?
少数派に対する、多数派だ。恋愛感情があっても満たされない者がいる。恋愛感情はあって当たり前、むしろ当たり前という認識をしていることにすら気づかない。恋をして、セックスをして、結婚をして、子を生み、家庭を作る。多数派にそう思い込ませているのは、だれ?
 
○○しなきゃならない、○○して当たり前という概念は、生きづらさをもたらす。
 
恋愛感情を持たない人は誰かとつきあってはいけないのだろうか?
 
 
 
【大きな主語】
 
私の持論だが、大きな主語で話をするとそれは聞く側にとって生きづらさをもたらす。
男とは○○だ。女なら○○すべきだ。みんながそうだから。普通はこうするから。
 
あなた自身の気持ちはどうなのだろう? それが知りたい。
 
「大きな主語にしないと人は注目しない。けれどそんな姿勢はいつか怒られるんじゃないかという恐怖になる」
 
それが必要になる場合もあるだろう。ただ、自分だけの体験を、気持ちを語ることを忘れてはならない。生きづらさ研究会(当事者研究会)は、自分の物語を再構築する場だ。話をすることで聞く側(環境)が変化する。発表者以外の人間の認識がどんどん変わっていく。個人的な話が、周りを、多数派を、制度を、国を変える。
大きな主語を、属性を借りなくても可能なことだ。そのためにはしっかりと「聴く」ことが必要になる。
 
大きな主語にすると、個人が取り残される。
 
アセクシャルの会に出たとき、性的関心はある自分の居場所がなかった」
 
属性や病名を与えられることで安心感が生まれる。そこでうまく安心を感じられる人はいいだろう。でもみんな、個人個人で微妙に違ってくる。全く同じ人間なんていない。ちょっとした差異を無視して固まる団結力は本当に個人の幸せにつながるのだろうか。
そもそも当事者研究は運動ではなく研究をすることで周りの環境を変えていく試みでもある。
 
 
 
【世界の解像度・まとめられてしまうこと】
 
ホワイトボードの写真にもあるのだが「恋愛というものをひとまとめにされるとなんだかわからない」という話になった。
「恋愛感情がない」ということはそもそもそれがなんだかわららないから苦しんでいるという部分もあるのだ。
 
たしかに、改めて考えるとわからない。わかったつもりで生活している。よくわからないものを「ある」とはいえない。
 
複数の感情が、概念があわさって「恋愛感情」というものになっているのだろうが普段は「こういうもんだ」と大雑把に、強引にまとめられている。あらためて解像度をあげてみるとその内包されているモノたちにとらわれていき、自分の感じているものが皆と同じものでないように思えてくる。そもそも感じ方、捉え方に全く同じなんてことはありえないはずなのに私たちはいろいろな理由でひとまとめにして安心を得ている。
 
定型発達の人には想像できない感覚過敏の世界では一輪のきれいな花も顕微鏡レベルの解像度でとらえるとなにか未知の得体の知れない者の集積に見えてくる。見えている世界が違うのだ。その違いに気づくために必要なことの一つが決めつけのない話し合いだ。
 
心やコミュニケーションの問題ではなく、捉え方の問題。世界がどう見えているのか。ひとりひとり違う。
 
 
 

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【自分が嫌い。自分が好きという言葉との階層の違い】
 
 
会が終わってファミレスでの二次会の時に「自分が嫌い」という話を聞いた。その場で深く聴くことはできなかったけど会をやるたびに思う「生きづらさの根深さ」というもの。
 
ちょっと集まって数時間話しただけではとてもまだ十分とはいえない。今回もまだまだ聞き足りないこと、言い足りないことが私にも参加者のみなさんにもあったと思います。
 
 
今後の活動方針も含めて次回のブログに「生きづらさ研究会のこれから」を書きますので、これまでの参加者の皆さんや行ってみようかどうか迷っている方たちも含めて、みなさんの生きづらさにしっかりよりそえるような活動をしていきたいと思います。

 

 

個人的反省と生きづらさ研究会の意義

前回、前々回の記事から続く内容ではありますが。
前回記事で圧倒的な絶望から出るには一人でいないこと、と書きました。その後のことを書きます。
 
生きづらさも一つ一つの要素に着目したら「普通でいなければいけないという同調圧力」であったり「人間関係」であったりと、他者や環境との関わりが出てくるので、そうなると自分ひとりではどうにもできなくてではどうやって他者とうまくやっていくのかを考えていかなければならない。孤立を脱してその時期に来たと感じたら解決を探り始める。ここから先が当事者研究などの得意とする分野となっていくので、まずはそこに至るまでの寄り添い、ですよね。もちろん他者と関わっていく段階でも傾聴や寄り添いは大事です。当事者研究会にがんばって来てはみたけれどまだ圧倒的な孤独感がある、そういう場合ももちろんあるでしょう。
こうしてみると傾聴・寄り添いは話し手の主体性を高める効果があるのでより「個として自分に向き合う」のに有効で、具体的な解決策や対処法を探る段階になると当事者研究のように他者の物語を参照して自分の物語を再構築していく「みんなの力で自分に向き合う」の時期なのだと言えるでしょう。
けっこう直接的に「あなたの生きづらさへの対処法を教えてください」なんて会もいいかもしれませんね。
 
わたしは最近とくに個人の特性、属性にこだわりすぎてそこから広がる「生きづらさ」にまで目が行ってなかった、視野が狭くなっていたように感じます。なんとかしなきゃ、解決しなきゃは専門家の分野なんですよね。当事者研究会の目的はそこじゃあない。同じ属性の人を集めて参加者の安心感、満足感をなんとしてでも上げなきゃって思ってた。そう思うこと自体は間違っていないのですが、それって同じ属性の人じゃないとわかりあえない、話し合えないっていう要は来た人を「信用をしていない」ってことなんですよね。私一人がなんとかしなきゃってなってたらそれはもう完全な身勝手であり、寄り添う会を作るなんてできるはずもありません。
同じような気持ちや体験を話し合い、そこから自分の事を知る、発見する。恋愛感情がなくて困っている人も、恋愛感情のせいで困っている人も素直に話し合うことで共通する「生きづらさ」が浮かび上がる。これこそがみんなで集う理由なんですよね。
ものすごく個人的な生きづらさを抱えた人たちでも、それがみんなで共有できて個の安心、深まりにつながる。それが理想の当事者研究会なのかなって感じます。そういう場作りを目指すのが主催者や運営のとるべき行動なんだと思います。
 
でも私自身はやっぱり「個の深まり」も大事にしていきたいので、会においては「皆のつながりによる個の回復」をイメージして、その前後で「個の深まりによる回復」をサポート的に提案していければな、と思います。二つを無理に一つにするのでなくそれぞれをうまく活用してやっていけたらな、と思います。
 
この「個の思いに対する執着」って、私自身もなんでだろうって思うのでいつか当事者研究してみたいと思います。いろいろやりたいのあるわ〜。